旅の始まりはバロックの都ドレスデンから
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文豪ゲーテが「ヨーロッパのバルコニー」と賞賛したブリュールのテラス
東西ドイツ統合で生まれたゲーテ街道
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ドイツには「ロマンティック街道」や「メルヘン街道」など南北を結ぶ有名な観光街道があるが、この「ゲーテ街道」は1990年のドイツ再統一をきっかけに誕生した東西ドイツを結ぶ初めての観光街道。日本からの直行便が乗り入れている玄関口フランクフルトから東へと進むのが一般的ではあるが、今年(2014年)はベルリンの壁崩壊から25年という節目の年であることから、旧東ドイツ領にスポットを当て、街道をドレスデンから西のフランクフルトへ向け、ゲーテの人生を遡る方向で進んでみることにしよう。
ゲーテも称えたザクセンの宝石、ドレスデン
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ゲーテも足を運んだドイツ最大のプロテスタント寺院、フラウエン教会
ゲーテが初めてドレスデンを訪れたのは、学生だった19歳の時。市内のフリードリッヒシュタットに住む靴職人、ヨハン・ゴットフリード・ハウケの家に滞在した。フリードリッヒシュタット5番地には、ゲーテ訪問を記念したプレートが掲げられている。それ以降にゲーテが滞在した宿屋「黄金の椰子の枝」や「黄金の天使」は現存していないが、「黄金の椰子の枝」の周辺にある屋敷や日本宮殿は、当時のまま今も残されている。
ドレスデンにあるゲーテゆかりの場所として最も有名なのが、アウグストゥス橋とカローラ橋の間にある「ブリュールのテラス」。ここはエルベ川の南岸沿いにある城壁跡に造られた約1キロの遊歩道で、ザクセン選帝侯からここにあった16世紀の城壁の一部を譲り受けた首相のブリュール男爵が、庭園の改造や宮殿やギャラリーなどを建築していったことから、このブリュールの名が冠された。
その景観の美しさを賞賛したゲーテは、この場所を「ヨーロッパのバルコニー」と呼んだ。この遊歩道のすぐそばには、ゲーテも好んで訪れたというフラウエン教会やツィンガー宮殿内のアルテ・マイスター絵画館、ドレスデン城、ザクセン州立歌劇場(ゼンパー・オーパー)など、かつての栄華を今に伝えるドレスデンの代表的な見どころが集まっている。
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アルテ・マイスター絵画館のあるツヴィンガー宮殿
当時よくドレスデンを訪問していたゲーテは1813年4月24日、この建物のハウプト通りに面したサロンの窓から、「ライプツィヒの戦い」でナポレオン軍に立ち向かうロシア皇帝アレクサンドルと、プロイセン王フリードリッヒ・ヴィルヘルム3世の行進を眺めたと伝えられている。
それよりも前の1790年に、ゲーテがワイマールからレイヒェンバッハ/シュレージエンへ向かう途中に訪れたのが、ロシュヴィッツ地域にあったクリスチアン・ゴットフリード・ケルナーの家。このケルナーは文芸のよき理解者として知られ、その5年前にシラーを市内の邸宅に住まわせた人物だ。その邸宅の一つ、現在シラー記念館となっているガーデンハウスで、シラーは『ドン・カルロス』を書いている。また、ウェスティン・ヴェルヴュー・ホテルにも、ゲーテ訪問の記念プレートが残されている。