世界遺産ヴァルトブルク城とアイゼナハ

更新日 : 2014年07月20日

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ヴァルトブルク城

ルターが新訳聖書を翻訳した世界遺産のヴァルトブルク城



バッハやルターだけじゃないアイゼナハ

Reuter-Wagner-Museum

新古典様式のロイター・ワーグナー博物館
(C) Thüringer Tourismus GmbH

エアフルトからICEでおよそ30分。周囲を城壁に囲まれたアイゼナハは、豊かな森に囲まれた人口4万3千人の小さな町。ドイツのほぼ中央に位置していることから、古くから交通の要衝として栄えてきた。J.S.バッハが生まれ、マルティン・ルターが「我が愛する町」と謳った町だ。

ここには現在、博物館となっているバッハの生家や洗礼を受けたゲオルク教会、現存する最古の木組み家屋のルターの家(2015年の半ばまで修復工事中)などのあるバッハやルターゆかりの地として、またBMWの拠点であるミュンヘンや、メルセデスベンツやポルシェの本社があるシュトゥットガルトと並ぶ「自動車の町」としても知られているが、同時にアイゼナハは「文学の町」でもある。

ゲーテはアイゼナハも幾度となく訪れているが、ここはドイツの詩人であり小説家でもあるフリッツ・ロイターが晩年を過ごした町。アイゼナハには、ロイターが1868年から1874年まで暮らした、ルートヴィッヒ・ボーンシュテット設計の新古典様式の屋敷が残り、現在は有名な作曲家リヒャルト・ワーグナーゆかりの品を集めた「ロイター・ワーグナー博物館」として公開されている。ここに所蔵されているワーグナーのコレクションは、バイロイトに次ぐドイツで2番目の規模となっており、ここで朗読会やミニ・コンサートが行われている他、特別ガイドツアーも催行されている。


世界遺産、ヴァルトブルク城

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ルターが新訳聖書を翻訳した部屋

「最もドイツらしい城」と言われているのが、1999年にユネスコ世界遺産に登録されたヴァルトブルク城。1777年、この城に滞在したゲーテは、ワイマールにいるシャルロッテ・フォン・シュタイン夫人宛ての手紙の中で「ここは例えようもなく美しい」と綴った名城だ。

この城の礎が置かれたのは1067年のこと。ルートヴィヒ・デア・シュプリンガー方伯によるものと言われている。巧みな結婚政策によりチューリンゲン方伯領は拡大し、13世紀には現在のヘッセン州を含む広大な地域にまで拡大。神聖ローマ帝国でも1、2を争う領国としてその名をとどろかせた。

婚姻による領地拡大ゆえか、この城には「血なまぐさ」といったものが全くない。俗的な煌びやかさのある城とはタイプが異なるが、「騎士の間」や「食事の間」などの、どっしりとした低い天井が当時の面影を今に伝えている。「エリザベートの間」には、チューリンゲン方伯夫人としてこの城で暮らした、聖エリザベートの生涯が描かれている。

この城には2つの大きな見どころがある。その一つが、「宗教改革」で知られるマルティン・ルターが、新約聖書をドイツ語に翻訳した部屋。質素で粗末な部屋にあるのは、机と椅子、そしてストーブだけだ。
ルターがこの城に身を寄せたのは、聖職者の金満的生活を弾劾し教皇(ローマ法王)に破門されたため。時の城主によりこの城にかくまわれ、当時ラテン語以外で記すことを禁じられていた聖書を、1年かけてドイツ語に翻訳した。そのドイツ語訳聖書が完成したのは、1534年のことあった。ルターによる聖書のドイツ語訳は、近代ドイツ語の確立に寄与したとも言われている。

そして、もう一つの見どころが「歌合戦の間」である。何と言っても城主にとって、婚礼は「重要政策」。そこで、多くの貴人を迎えるための大広間が設けられた。欧州各地からこの広間に宮廷歌人や吟遊詩人が集まり、歌合戦が開かれた。リヒャルト・ワーグナーは、この広間の壁に描かれた壁画にインスピレーションを受け、名曲『タンホイザー』を生み出した。また、バイエルン王ルードヴィヒⅡ世が、ノイシュヴァンシュタイン城にこの広間を模した「歌人の間」を造らせた、というのも有名な話である。

この広間に中世の歌人たちが集い、リュートを爪弾きながら歌で競い合ったという風雅さに、チューリンゲン州の精神文化の原点を見た思いである。


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