聖人が眠るバロックの町、フルダ
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ドイツの守護聖人、ボニファティウスが眠るフルダ大聖堂
ドイツの守護聖人、ボニファティウス
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18世紀にローマ・バロック様式に基づいて増築された大聖堂
フルダ市の人口は6万4千人ほど。周辺には国際的に展開する企業が数多く拠点を構えるヘッセンの政治・経済、および文化の中心都市である。
このフルダの歴史は、教皇グレゴリウス2世から福音のための正式な書簡を携えてこの地にやって来た、ある一人の宣教師から始まった。名はボニファティウス。8世紀、フランク王国にキリスト教を伝えたイングランド出身の宣教師で、イングランド初となるラテン語文法書を書いた人物でもある。
教皇自らによって「地域司教」となったボニファティウスは744年、フルダにベネディクト派の修道院を創設するとともに、その活動範囲を広げた。だが、その約10年後の754年6月5日、ボニファティウスはドックム(現在のオランダ)でのミサの最中に異教徒に襲われ殉教。その亡骸はフルダ修道院に運ばれ、丁重に葬られた。このボニファティウスは「ドイツ人の使徒」とも呼ばれ、ドイツの守護聖人にもなっている。
そうしたボニファティウスが今眠っているのが、フルダを象徴するバロック建築の一つ「大聖堂」である。この大聖堂は、9世紀に建てられたバジリカ(教会堂)を、1704年から1712年にかけてローマ・バロック様式に基づいて増築された。ボニファティウスの墓は主祭壇の下にあり、そこへ下りるための階段が祭壇脇にある。フルダが巡礼地の一つとなっているのは、このボニファティウスの墓がある所以である。
堂内にある美しいオルガンのパイプの数は5,000本。1713年、Adam Öhninger というビルダーによって作られたが、1877年にドイツを代表するオルガン工房ザウアーによって改造。その後、1996年になって再び、今度はオーストリアのリーガーの手が加わり、現在見られるような形となった。5月、6月、9月、10月、そしてアドヴェントのシーズンになると、毎週土曜日にここでオルガン・マチネーが行われている。
この大聖堂の隣にはまた、フルダ修道院の修道士墓地のチャペルとして、819年から822年にかけて建造されたミヒャエル教会がある。地下にカロリング期のクリプトが残るこの教会は、ドイツでも特に重要な宗教建造物の一つに数えられている。
幻の「フルダ焼き」が見られる市宮殿
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現在は議会場にもなっているフルダの市宮殿
そうした建築群の中心となっているのが、大聖堂の向かいにある市宮殿だ。1706年から1721年にかけてルネッサンス様式で建造され、その後美しいバロック様式に改築されたこの宮殿は、かつてのフルダ領主司教の私宅。その後、オランダ国王やフランスが所有したものの、1894年にフルダ市議会が取り戻し、1900年からはフルダ市役所および市議会場として使われている。
現在、建物の一部は博物館として一般に公開。「皇帝の間」「祝宴の間」「謁見の間」をはじめ、ブラウン管を発明し、1909年にノーベル物理学賞を受賞したフルダ出身のフェルディナント・ブラウン(1850~1918)のミニ展示も行われている。余談だが、ブラウン管を発明したのはドイツ人だが、ブラウン管テレビを開発したのは日本の技術者、高柳健次郎氏である。展示を覗き込みながら、そのドイツと日本の不思議な縁に思わず笑みがこぼれる。ブラウンの生家は、市宮殿からほど近い「魔女の塔」の隣にある。
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オランジュリーの屋根には当時珍重されたパイナップルのオブジェがある
また、この一角にある「鏡の間」は、近年フルダ市が多額の資金を投じた修復工事が行われ、かつての煌びやかさを取り戻した。この宮殿の脇にはフルダの社交場となっているオランジュリーと、美しい庭園がある。現在はレストランとなっているオランジュリーの屋根には、当時珍重されたパイナップルのオブジェが見られるのが興味深い。
このオランジュリーの前には、バンベルク出身の彫刻家ヨハン・フリードリッヒ・フムバッハが製作したドイツ屈指のバロック彫刻「フローラヴェーゼ」がある。庭園は当初バロック様式で造られたが、19世紀になってから英国風に造り替えられた。だが、その際にはオリジナルのスタイルを残す形で改造されたという。