聖人が眠るバロックの町、フルダ

更新日 : 2014年07月25日

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え?!ゲーテはフルダが嫌いだった???

neoclassical-ceiling

バロックを基調とする市宮殿の一部は、後に新古典主義様式に改装された。

ゲーテがフルダに初めてやって来たのは16歳の時。記録によると、その訪問回数は全部で12回におよぶ。そのためだろうか、フルダを紹介する資料やガイドブックなどで「ゲーテが愛したフルダ」という一文をよく目にする。もちろん、筆者自身もその話を信じて疑わなかった。

「ところが・・・」である。

実際にフルダを訪れて取材してみると、現地で対応してくれたガイドからこの件に関して、予想外の情報を耳にすることとなった。

なんと「ゲーテはフルダが嫌いだった」というである。

その理由は「フルダがバロックの町」であったため。フルダは、古典主義を唱えるゲーテの「お好みではなかった」からだというのである。フム・・・ 
となると当然次に湧いてくる疑問は、12回にもおよぶゲーテのフルダ訪問の理由。だが、この疑問にも納得せざるを得ない答えが返ってくる。

それは「フルダが、フランクフルトからの郵便馬車の1日分の走行距離にあったから・・・」であると。

「郵便馬車?」と首をかしげる方のために補足すると、車も列車もないゲーテの時代、旅をするには馬車を利用するわけだが、その際、人々はよその町へと郵便物を運ぶ「郵便馬車」に同乗した。この馬車には決まった1日の走行距離があり、その日の終点に到着すると乗客もその意思とは関係なくそこで下車し、1泊宿を取る必要があった。
つまり、フルダはフランクフルトからワイマールへと向かう郵便馬車のちょうど中間に位置し、停泊地となっていたため、好みであろうがなかろうが、ゲーテもここに滞在せざるを得なかったというのだ。

とは言え、「バロックの町フルダが嫌いだったゲーテ」は、後に「バロック様式の市宮殿の一部が新古典主義様式に改築され、とても喜んだ」という記録が残っているという。
ガイドの口からは、とうとう最後まで「ゲーテがフルダを愛した」という言葉は出てこなかったが、フルダが美しい町であることには変わらない。「愛する」までには至らずとも、繰り返し訪れることで、きっと最終的にはゲーテも「フルダを好き」になったと信じたいのは、恐らく筆者だけではないだろう。


ゲーテの常宿はいずこに?

ゴールデネン・カルプフェン

ゲーテの常宿として知られる「ゴールデネン・カルプフェン」

12回フルダを訪れているゲーテ。となると、ゲーテ先生の崇拝者ならずとも気になるのが、その常宿である。ゲーテは一体、どこに泊まっていたのであろうか?

一般的にゲーテの常宿として知られているのが、その時代に「黄鯉亭」という名のガストホフとして営業していたという「ホテル・ゴールデナー・カルプフェン」である。ところが、ゲーテについて予め調べていてくれたガイドの話によると、これも事実とは異なるのだという。

ガイドの説明はこうである:ゲーテがフルダで滞在していた宿の名は「シュヴァイン(白鳥)」で、フルダに現存していない。
だが、そのホテルのあった場所が、ちょうどこの「ゴールデナー・カルプフェン」の辺りであると。ホテルの外壁にこのゲーテに関する案内が掲げられているが、そこに「ゲーテの常宿」とは明言していないというのだ。

という話を聞き、早速外へ出て案内版を確認してみる。すると確かに日本語で『ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテ(1749-1832)は、1765年10月に初めてフルダに宿泊しました。その後、何度か逗留するうちに“ゲーテの西東詩編”の一部を創作しました。』とある。隣のドイツ語案内も内容は同じ。確かにどこにも「常宿」とは書かれていない。いやはや、この続けざまの、ある意味衝撃的な話には戸惑うばかりである。

Hall-Staff

味もサービスも抜群に良いホテルのレストラン

この件はさておき、この「ゴールデナー・カルプフェン」はゲーテの常宿としてよりも、グルメなレストランで定評のある老舗ホテルとして知られている。名物は「ゲーテ・メニュー」。ゲーテに因んだ料理で構成された、予約制のコースメニューである。フルコースは・・・

1 品目:サケのフランクフルト風グリーンソースがけサラダ
2 品目:ワイマール城庭園の野菜入りコンソメスープ
3 品目:チューリンゲン風マスのフィレ、ディルソースがけライス添え
4 品目:牛の煮込み、ホースラディッシュ・ソースがけ、枢密顧問官ゲーテ夫人風炒めポテト添え
デザート:ワイマール風アップルケーキ、バニラソース&アイス添え

季節によりコースの内容が変更される場合があるが、基本となっているのがこの5品。だが、今回の取材で提供されたのは、2皿目と3皿目がカットされた3コースメニューであった。その代わりにだろうか、「食後にお好みでチーズの盛り合わせを用意する」との説明があった。

ドイツというと、まずそのボリュームが心配になるが、全体的に軽めで1皿の量も適量。日本人の口にも合う繊細な味付けである。まったく当時と同じ味付けではないのかも知れないが、これを食した限りゲーテ先生もかなりの美食家だったとお見受けした。一緒にサーブされたゼクトや、ワインのセレクトも申し分なかった。

ホテルのオーナーはもちろん、レストランのスタッフも非常にフレンドリーで、気の利いたサービスも心地良い。
最後に提供されたチーズを部屋に戻ってゆっくり味わいたいと伝えると、ワインとパンを添えて快く部屋まで運んできてくれた。ちょっぴりほろ酔い気分でゲーテ先生に思いを馳せつつ、半月に渡る「ゲーテ街道」の旅を振り返る。美しい自然、豊かな文化、満たされる知的好奇心、そして人情味溢れる人々、なんたる充実感だろうか。

先述の通りこのゲーテ・メニューは事前予約が必要となるが、ICEを使えばフランクフルトからフルダまで1時間ほどでアクセスが可能。フルダの上質なグルメとサービスを体験に、是非訪れてみて頂きたいレストランである。

 
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