ゲーテがシラーと出会った町、イエナ
ゲーテが植物の研究に没頭した家(ゲーテ記念館) ゲーテも訪れたシラーのガーデンハウス
イエナの豊かな自然に心癒やされたゲーテはこのイエナを拠点とし、『ファウスト』や『ヴィルヘルム・マイスター』を手がけるなど、文学活動に力をいれた。また、ゲーテはイエナの町と大学の発展にも尽力。実際ゲーテの勧めにより多くの重要人物がこの町を訪れ、いつしかイエナはドイツ哲学と初期ロマン主義の活動の中心となった。
そうしたゲーテが滞在し、かつて植物園管理事務所となっていた建物が、現在「ゲーテ記念館」として一部が一般に公開されている。
建物はイエナ大学が所有しているため、公開されているのは1階部分にある2部屋のみ。イスとテーブルが置かれた居間の壁には、ゲーテに会うためこの場所を訪れた哲学者のフィフィテやヘーゲルの肖像画が掲げら、その横の小部屋では詩人、政治家、そして自然科学者であったゲーテのイエナにおける長年の活動に関する展示が行われている。敷地内にある温室や建物の裏手にある広大な植物園などは、全てゲーテが創設したもので、いずれもイエナ大学が所有・管理している。植物園には、世界のあらゆる気候帯から集めた10,000種もの植物が栽培されている。
シラーはここで、教鞭を取りつつ創作活動にも意欲的に取り組み、戯曲『ヴァレンシュタイン』や多くの詩を書き上げている。
そのイエナで唯一現存するシラーの住まいが、シラーの小径にある「シラーのガーデンハウス」。家に大きな裏庭があることから、こう呼ばれている。とても病弱だったというシラー。この家には、それが垣間見られるような興味深いポイントがある。
まず一つ目が、2階の書斎の横にある寝室だ。シラーのベッドには、当時シラーが使用していた湯たんぽが置かれ、扉一枚を隔てた場所に使用人の部屋がある。その理由を尋ねると、恐らくシラーが病気がちであったことから、使用人が世話をし易いようにするためだったのではないかとガイドは言う。
湯たんぽがヨーロッパに伝わったのは、日本よりもずっと後の16世紀になってからの事で、ゲーテやシラーの時代になってもかなりの贅沢品だったと言われている。室町時代から日本に伝わるお湯を注ぐタイプとは異なり、ヨーロッパでは石をストーブで温めてから使っていた。
もう一つが、キッチンの場所。シラーは食べ物のにおいを嫌っていたことから、母屋から一番離れた裏庭の一角にキッチン小屋を建てたのだそうだ。消臭やリラクゼーション効果を得るためだろうか、シラーの書斎にはリンゴを盛っていたと見られるトレイも見られる。
1789年から1799年までイエナ大学で教鞭をとっていたシラーとゲーテの出会いは、1794年7月にこの町で開かれた植物学会。そこで2人は原植物論で意気投合し、交流が始まった。この時ゲーテは40代、シラーは30代であった。
家の裏庭のキッチン小屋の脇に石のテーブルとベンチがあり、ゲーテとシラーはよくここに座って長らく語らっていたという。この場所は、多くの文学ファンの「聖地」となっている。