音楽の街、ライプツィヒ

更新日 : 2014年07月08日

このエントリーをはてなブックマークに追加
はてなブックマーク - 音楽の街、ライプツィヒ
Share on Facebook
Post to Google Buzz
Bookmark this on Yahoo Bookmark
Bookmark this on Livedoor Clip
Share on FriendFeed



ゲーテ像

ナッシュマルクトにある若かかりし頃のゲーテ像。視線の先には、ライプツィヒ大学がある。



ゲーテゆかりのアウアーバッハス・ケラー

アウアーバッハス・ケラー

アウアーバッハス・ケラーの壁に描かれた森鴎外

ドレスデンからインターシティー(IC)に乗り牧歌的な風景を抜けると、1時間ほどで次の目的地、ライプツィヒへと到着する(REの場合は1時間36分所要)。ここはゲーテが学生時代を過ごした町。ゲーテはこの町にあるライプツィヒ大学で法律を学んだが、ゲーテが住んでいた家は現存しない。

そうしたライプツィヒに残るゲーテゆかりの場所が、足繁く通った1525年創業の酒場「アウアーバッハス・ケラー」である。ゲーテはこの店で、ある客人から黒魔術師ヨハネス・ファウストス博士の伝説を耳にし、戯曲『ファウスト』のインスピレーションを受けたという。店の雰囲気やそこに掲げられた絵画に魅せられたゲーテは、作品の一場面にこの店を登場させている。

同じくライプツィヒで学び、『ファウスト』を初めて日本語に翻訳した森鴎外もまた、その偉業が称えられ、アウアーバッハス・ケラーの大地下室レストランの一角にある壁画(幅3.16メートル、高さ1.8メートル)に、その姿をとどめることとなった。その壁画のすぐ下には記念のプレートが、ドイツ語と日本語の両方で掲げられている。

バッハゆかりの2つの教会

トーマス教会

J.S.バッハの眠るトーマス教会

ゲーテだけでなく、ライプツィヒを語る上で忘れてはいけない人物がもう一人いる。それが「大バッハ」とも呼ばれる偉大なる作曲家 J.S.バッハである。

ライプツィヒが属するザクセン州の隣、チューリンゲン州のアイゼナハで生まれたバッハは、このライプツィヒで27年に渡って市の音楽監督を務め、ここで数多くの作品を作曲した。バッハの墓所があるトーマス教会のステンドグラスには、この町で活躍した音楽家たちと共にバッハの肖像が描かれている。

このトーマス教会の向かい側には、バッハ資料財団によるバッハ博物館が、また教会の左斜向かいには、ライプツィヒ発祥のお菓子「ライプツィガー・レアヒェ」とバッハ・コーヒーが楽しめるカフェ・カンドラーがある。このカフェでは、バッハの没後250周年に合わせて考案された円形の焼き菓子「バッハ・ターラー」が販売されている。

このトーマス教会と並びバッハ活躍の舞台となったのが、市の中央教会となっているニコライ教会である。バッハはこの教会でも音楽を担当し、1724年に『ヨハネ受難曲』、1734~35年に『クリスマス・オラトリオ』を初演した。この教会には、ザクセン州最大のパイプオルガンがある。

ニコライ教会はまた、旧東ドイツ平和革命により「東西ドイツ統一の出発点」としても有名な教会。淡いピンクを基調とするこの教会からは、柔和で慈愛に満ちた空間が広がっている。このライプツィヒを発端とする平和革命から25年を迎えた今年、教会の入口付近で当時の様子を伝える展示が行われている。


次へ 1 2




このページの先頭へ