永遠の魅力ーグルメ天国 中国の郷土料理

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満漢全席


 満漢全席は、清朝の高級宮廷料理のことをいうのである。清朝は満州出身の王朝だが、その出身地の満州と、王朝のある漢の、つまり満漢双方の、言い換えれば、中国全土のありとあらゆる美味しい食べ物、珍味の全てを網羅した、これ以上のものはないといえる最高の料理のことをいうのである。

 清朝のあの有名な西太后は大変なグルメで、満漢全席は西太后のご機嫌を取り持つものでもあったらしい。伝えられる話によれば、西太后が満州の奉天を訪問した時のお召し列車には、50のカマドを常時用意していくための厨房車が四輌も連結され、料理人も100人が待機しており、何時でも100種類の正菜と、同じく100種類の軽食を用意できたという。列車で移動中でもこのような態度だったのだから、日常の宮廷での食事の豪華さは、容易に想像できようというものである。

 一口に絢爛豪華と表現される満漢全席の豪華さ、派手やかさ、徹底ぶりは桁違いで、宴会料理の範囲を遥かに飛び越えたものである。満漢全席は、祀宴、尊宴、燕宴、囲宴の4つに分かれていて、延々と2日間にわたって食べ続けるものだが、その料理の材料には多くの珍品、絶品が使われることは勿論である。

 また、その調理法も尋常なものではなく、あらゆる料理の手法が使われるとのことである。
そのメニューの数は、少なくても30品目以上、多ければ160品もあるとのことだが、それがすべて美味しいかどうかは、それぞれの味覚とか味感により決まることだろう。
珍味中の中には熊の手、蛙の舌、鶴の首、冬虫夏草(地中の昆虫に寄生したキノコ)など、滅多に味わえないものも含まれる。

 このような満漢全席は誰でも料理できるという代物ではない。今日ではその道の造詣の面でも、また、調理技術の点でも、完璧にできる料理人は殆どいないのではなかろうか。何人かいるとしても、今では容易に手に入らない材料も多かろうし、当然のことながら値段も想像を絶するほど高くもなろうし、その準備期間とか、2日間食べ続けるという食べるだけに要する時間、終わってからの胃の休養?(胃をこわして入院しないまでも・・・)などを考えると、満漢全席そのものの需要もそんなに頻繁にある筈もなく、料理する機会に恵まれないまま、満漢全席は何時の日か、一つの語り草に終わる運命にあるのではなかろうか。

 1979年頃、あるいは1980年代に入ったばかりの頃であったろうか、例の『新しい香港』による市場刺激の効果が現れ始め、マスコミが『知られざる香港』とか『もう一つの香港』の取材に熱中していた頃、あるテレビ局が九龍側のレストランで、日本からの有名タレント何人かと現地香港の人達を交えて、満漢全席を実施し、その全てを放映したことがあった。

 そのメニューの内容とか品数、それにどんなタレントが出ていたか、などは記憶にないが、それが放映された時は、大仰な演出の効果もあってか大変な話題になったものである。完全な満漢全席ではなかったと思うが、それでも2日間にわたり展開された精緻を極める歴史的な宴席料理の極致に、視聴者は度肝を抜かれたのである。

 はっきりした記憶ではないが、当時の金で400万円ぐらいかかったという。その頃、満漢全席は少なくとも一卓100万円はかかるといわれていたから、何卓かあったようなので400万円という経費はあり得ない金額ではなかったかもしれない。

 しかし、金額はさておき、香港でのこのような贅をつくした派手やかな試みは、その頃の我々にとっては大歓迎であった。なにせ当時の香港観光は極端な安値競争の渦中にあり、目を覆うような質の低下により中国料理の名声も地に落ちていたので、この徹底した豪華さは、タイミング良く市場を大きく揺さぶる効果があったのである。

 面白いことに、日本での大変な話題に比べて、香港での反響は冷ややかなものであった。遠慮がちに囁かれる「物好きなことをするもんだ」という嘲笑の声が私の耳にも聞こえてきた。

 満漢全席がどんなものであるかは次第に市場にも浸透し始め、旅行業者の中でも、好奇心旺盛な客層を対象にして、この満漢全席を試みるところが出てきた。もっとも、その全コースは無理なので、ミニチュアー判、つまり『ミニ満漢全席』なるもので、その豪華さの片鱗に触れようというのである。 市場にそのような新しい動きがでてくれば、私も一度くらいは『ミニ満漢全席』を経験しておきたくなる。

 間もなく念願が叶う日がやってきた。
ミニのまたミニの『ミニ満漢全席もどき』で結構という私の希望にかかわらず、香港観光協会の本部はなんと一応の体裁を整えた、ミニ満漢全席をお膳立てしてくれた。同席者は本部のスタッフ数人だけで、全く内輪の仕事を兼ねた体験宴席(?)であった。

 約10数年以上経過した今、思い出すことは次の4つである。
第一は、熊の手である。本物を使っているという一種のデモンストレーションだったのだろうが、調理の前に、黒々とした剛毛に覆われた大きな熊の手を、鋭利な刃物で断ち切られた骨の見える状態のまま、もっともらしく皿に載せて見せられたことである。びっくり仰天し、そのためか、その熊の手の料理は私にはとても美味しいとは思えなかった。

 第二に、私が料理に箸をのばそうとする度に、隣のスタッフが、「あまり食べてはいけません」「食べ過ぎですよ!」とブレーキをかけ続けたこと。「チョット箸をつける程度にしておかないと、全部のコースは食べ切れません」というのである。しかし、見たこともない珍しい料理を、十分に味を堪能することもなく、次から次へと少しずつ口に運んでいたので、味覚に混乱が生じ、何が美味しかったのか味の記憶がほとんど残っていないということ。

 第三に、一つ一つの料理には大変な手間と技術が凝縮されていて、また莫大な経費もかかっている筈なのに、『箸をつける程度』で十分に味わうこともなく、ただ単に品数のみを追うとは、なんともったいないことかと思ったこと。また、たくさん残ったまま、どんどん下げられた皿の行方が意地汚い私には大いに気になったこと。

 第四に、隣からのブレーキで少しずつしか食べていないにもかかわらず、最後に次から次に出てきた旨そうな4種類ものデザートの、そのどの一つにも手が出ず、極めて残念に思ったこと。満々腹の胃袋がどうしても受け付けなかったのである。

 満漢全席は、例えミニであっても、時間をかけて、途中で小休止を何回もいれるなどして、ゆっくりのんびり楽しむべきだ、というのが私の結論だが、それはともかく、俗人である私は、やはりメニューを見て好きな物を胃袋と相談しながら選んでいた方が性に合っている。



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