フランケン地方を巡る旅 ~ 古城と宮殿を求めて その3.ニュルンベルク

見どころ満載のニュルンベルク
カイザーブルクの近くは戦災に遭わず古い建物が残っている
その3.ニュルンベルク Nürnberg
フランケン地方の中心はニュルンベルクです。現在はドイツで13番目に人口の多い町ですが、中世では神聖ローマ帝国最大の都市でした。第二次世界大戦で徹底的に破壊されたため、中世の面影は失われてしまいました。それでも戦後に修復や再建された建物があり、中世最大の都市だった重みを伝えています。

皇帝城が街の北端に聳える
ニュルンベルクでは主要幹線鉄道が交差しており、東のベルリン、北のハンブルク、西のシュトゥットガルト、南のミュンヒェン、オーストリアのウィーンなどへ多くのICE(ドイツ新幹線)が発着しています。この中央駅に旧市街が隣接しているため観光にとても便利です。

フラウエン塔とケーニヒ通り
中央駅を出ると旧市街の入口である太い塔が目の前に聳えています。大戦でニュルンベルクは80%が破壊され、市壁も失われました。戦後に市壁は殆どの部分が修復されて、今も町を取り巻いています。
ハンドヴェルカーホーフ Handwerkerhof
駅の前に聳える太いフラウエン塔は旧市街の南東端にある中世の正門で、見張り塔でした。
そこから旧市街中心部へ向かって歩行者専用のケーニヒ通りが延びています。フラウエン塔の背後にかつて武器を保管していた広場がありました。
アルブレヒト・デューラー生誕500年を記念して1971年、ここに中世のミニ職人街が建設されました。ハンドヴェルカーホーフHandwerkerhof(職人の中庭)と呼ばれる職人街で、壁で囲まれています。

ハンドヴェルカーホーフ
広場の中には小さな木組みの家が建ち並び、ガラス職人、陶芸家、金細工職人、皮革職人、錫職人たちが仕事をしています。手工芸品の店、ニュルンベルク名物レープクーヘンの店、同じくニュルンベルク名物の焼きソーセージ専門店などもあります。観光客が最初にニュルンベルクを体験できる楽しいスポットです。
聖ローレンツ教会 St. Lorenzkirche
ハンドヴェルカーホーフから中心部へ向かうケーニヒ通りを進むと右手に大きな聖ローレンツ教会が見えてきます。聖堂内部には宝物館に例えられるほど貴重な美術品があります。

正面のバラ窓が美しい聖ローレンツ教会
聖ローレンツ教会は1525年にルター派になりました。宗教改革期の偶像破壊運動の中、ニュルンベルク市と市民は教会の美術品保護に力を尽くしました。それ故に内部の美しさが保たれたのです。
聖堂内で有名なのはまず、ゴシック様式の塔の形をした聖餐室です。ドイツ中世最高の石職人であるアダム・クラフトの作品で、この塔を支えるように跪いている像がクラフト自身です。

アダム・クラフト作の聖櫃
最も有名なのは天井から吊り下げられたファイト・シュトースの木彫刻で、大きな薔薇の輪の中にマリアと天使ガブリエルの像があります。受胎告知の場面を表した「天使の挨拶」はシュトースの傑作で、いつまでも眺めていたくなる美しさです。
祭壇後方のステンドグラスは、ハプスブルク家のフリードリヒ3世皇帝によって寄進されたものです。彼はニュルンベルクを気に入って何度も滞在しました。窓にはフリードリヒ3世と妃のエレオノーレが描かれています。

左:ファイト・シュトスの傑作「天使の挨拶」
右:窓に描かれたフリードリヒ3世とエレオノーレ
聖霊養老院 Heilig-Geist-Spital
聖ローレンツ教会を出て町の中心広場に向かって歩いて行くとペグニッツ川に出ます。ムゼウム橋の上からは中州にかかる聖霊養老院が眺められ、この姿はニュルンベルクのシンボルになっています。14世紀、町の裕福な市民によって病人と高齢者のための福祉施設として建設されました。現在は上階が老人ホームですが1階は郷土料理で有名なレストランになっています。
この病院に付属教会がありましたが大戦で破壊されてしまいました。付属教会には神聖ローマ帝国の“皇帝の宝”と呼ばれるレガリアが長い間保管されていました。レガリアはそれまで、皇帝出身の町にある修道院など、色々な場所に置かれていました。

ペグニッツ川中州にかかる聖霊養老院
1424年、皇帝ジギスムントは”皇帝の宝“が永久にニュルンベルクで保存されることを宣言しました。アーヘンやフランクフルトで戴冠式が行われる度にここから運ばれて行ったのですが、それはそれは物々しい行列でした。”皇帝の宝“はナポレオンが攻めてくる時に奪われるのを恐れて1797年にウィーンへ移されたのですが、結局そのままになってしまいました。
ニュルンベルクはレガリアを取り戻そうとしたのですが、保管箱だけ返してくれました。その箱は国立ゲルマニア博物館に展示されています。
中央市場 Hauptmarkt
ムゼウム橋を渡って行くと直ぐに中央広場に出ます。中世で神聖ローマ帝国最大の町と謳われていたニュルンベルクにはマーケットが開かれる広場がたくさんありました。その中で最大であり町の中心にあったので、この広場はハウプトマルクト(中央市場)と呼ばれています。世界的に有名なニュルンベルクのクリスマス市はここで開催されます。

クリスマス市が開かれる中央市場
広場に面したフラウエン教会Frauenkircheでは毎日正午に仕掛け時計が動きます。中央に坐するのは神聖ローマ皇帝カール4世です。ニュルンベルクでカール4世は1356年、「皇帝は7人の選挙侯によって選ばれる」、という皇帝選挙の規定を定めた金印勅書を発布しました。
12時の鐘が鳴ると右側の扉が開いて選挙侯たちが現れます。まずケルン、マインツ、トリーアの3人の大司教が、そしてボヘミア王、ライン宮中伯、ザクセン選帝侯、ブランデンブルク選帝侯が続きます。皆、皇帝の前に来るとクルっと向きを変えて皇帝に挨拶します。
7人の選帝侯たちは3回現れて同じことを繰り返し、仕掛け時計は終わります。この仕掛け時計はメンラインラウフェェンMännleinlaufenと呼ばれています。文字通り訳せば「小さな人間が歩く」でしょうか。1日に1回しか動かないので見逃さないようにしましょう。

カール4世と7人の選帝侯
広場の隅にゴシック様式の噴水シェーナー・ブルンネン(美しい泉)Schöner Brunnenがあります。教会の塔を置いた様な形をしていますが、この噴水の鉄柵につなぎ目のない黄金の輪があります。
言い伝えでは、ニュルンベルクの鍛冶屋徒弟が親方から、継ぎ目のない輪が作れたら娘を嫁にやる、と言われたそうです。ある日、徒弟は娘を連れて町を出て行きました。親方が見ると、泉の鉄柵に継ぎ目のない輪がはめられていたそうです。この輪は廻すことができて、3回廻しながら願い事をかなえると良いことがある、と言われています。

よじ登って黄金の輪を回す少年
聖ゼバルドゥス教会 St. Sebalduskirche
ハウプトマルクト通りを北へ進むと右手に市庁舎、左手に聖ゼバルドゥス教会があります。教会名は8世紀頃、ニュルンベルク近郊の森に住んでいたゼバルドゥスに由来します。

北側地区を代表する聖ゼバルドゥス教会
ローマ教皇がゼバルドゥスにニュルンベルクの森で隠遁生活を送り、伝道師になることを命じたと言われています。教会は13世紀に完成しました。16世紀初頭にブロンズ製で制作された聖ゼバルドゥスの墓はドイツ・ルネサンスの傑作とされています。

内部に聖ゼバルドゥスが奉られている
神聖ローマ皇帝たちはニュルンベルクへ来ると必ずここで祈りを捧げました。祭壇窓のステンドグラスはハプスブルク家のマクシミリアン1世によって寄進されたもので、皇帝マクシミリアン1世とその妃マリー、2人の長男であるフィリップと妃のファナなどが描かれています。
彼は皇帝フリードリヒ3世の嫡男で、父と同じくニュルンベルクを気に入って何度も滞在していました。聖ゼバルドゥスはニュルンベルクの守護聖人です。

マクシミリアン1世が寄進したステンドグラス
城伯の城 Burggrafenburg
聖ゼバルドゥス教会から城通りBurgstraßeを上がって行くと左手に皇帝の城が現れます。右手に見える立派な館は城伯の城で、現在はユースホステルになっています。ところで城伯とは誰なのでしょう?
城Burgの伯爵Grafなのでブルクグラーフ(城伯)と呼ばれる代官でした。神聖ローマ皇帝は広大な領地を治めるため各地を回っており、有力な町に皇帝が滞在する城が建設されました。しかし留守が多いため、その間に城と町を守る代官が必要だったわけです。

城伯の城の5角形の塔
城伯は世襲が多かったので次第に力を付けて行きます。ニュルンベルクの場合は世界史でも例に挙げられるほど典型的なパターンです。力を付けた城伯が町を取り仕切るようになるのですが、ニュルンベルクは大規模な町だったので市民も力を持っており、城伯と市民の間でしばしば衝突が起こりました。
皇帝によって帝国自由都市になったニュルンベルクと皇帝の代官が争うという、神聖ローマ帝国の矛盾が起こったわけです。城伯は市民を見張るため、館の西端に塔を建てました。それは5角形の塔Fünfeckturmと呼ばれ、南側からは判りませんが東側が少し欠けて5角形になっています。城の最も古い部分です。

かつての城伯の城(右端はルギンスラント)
城伯の城の東端(城に向かって右端)にも塔があり、ルギンスラント塔Luginsland Turmと呼ばれています。こちらは13世紀末に市民が建設した塔なのです。こんなに接近して建てたのは市民が城伯の行動を見張るためで、あからさまに城伯に対抗していました。

奥に皇帝城が現れる
こんなに仲が悪い双方でしたが、事態は思わぬ方向で解決します。15世紀の城伯フリードリヒ6世は、皇帝ジギスムントに忠実で信頼を得ていたため1415年にブランデンブルク選帝侯に昇格しました。
彼は1417年に町を去って行きました。何世紀も続いた城伯と市民の対立は終わり、城伯の城は1427年にニュルンベルク市へ売却されました。完全な自治都市になったニュルンベルクは更に発展をとげていきます。
皇帝城カイザーブルク Kaiserburg
さらに上がって行くと今度は円形のジンヴェル塔Sinwellturmが聳えています。ジンヴェルとは古いドイツ語で“途方もなく丸い”という意味だそうです。41mもある高い塔は大戦の被害を免れました。今日、113段の階段を登ることができます。

円形のジンヴェル塔と手前の深い井戸の小屋
塔の近くにある2階建ての小屋は深い井戸Tiefbrunnenの建物です。井戸は城の生命線なので、最初の築城の時に掘られたとされています。
50mに及ぶ井戸では、スタッフが水をこぼして底に達する時間を計り、深さを証明してくれます。

皇帝城カイザーブルク
いよいよ本城です。内部は何度も改修されて現在は立派な博物館になっています。オリジナル部分は変わらず、最初に現れる「騎士の間」は相変わらずガランとした大きなホールです。この城にハプスブルク家の皇帝たちもやってきました。礼拝堂へ至る壁には皇帝フリードリヒ3世とマクシミリアン1世を描いた壁画がかろうじて確認されます。

左:礼拝堂への扉の前にフリードリヒ3世とマクシミリアン1世の壁画が見られる
右:皇帝城の騎士の間
2階のホールは近年改装され、神聖ローマ皇帝に関する詳しい展示があります。カール4世は最も長くニュルンベルクに滞在した皇帝です。隣へ続く小部屋の天井や壁にはハプスブルク家の紋章である双頭の鷲が描かれています。

皇帝の寝室天井に描かれた双頭の鷲
最後の部屋は神聖ローマ皇帝のレガリア保管に関する展示です。4世紀近くニュルンベルクにあった“皇帝の宝”は聖霊養老院の教会に保管されていました。その様子を絵や模型で再現されています。
レガリアが保管された場所に到達するまで、4つの部屋を通りました。その部屋の4つの鍵のコピーもあります。ニュルンベルク市は誠心誠意を込めて保管していたのですね。

ニュルンベルクからフランクフルトへレガリアを物々しい行列
永久にニュルンベルクで保管することを定めたジギスムントも残念なことでしょう。王冠や笏、玉のコピーもありますが、これらはウィーンの宝物館で実物を見ることができます。
アルブレヒト・デューラー Albrecht-Dürer
城からオーベレ・シュミードガッセという路地を下って行きます。この辺りは唯一、大戦の被害が少なかった場所でした。古い小さな家が軒を並び、とても風情があります。右上を仰ぐと先ほどのカイザーブルクが迫ってきます。
路地を下り終わると広場があり、左手に見える立派な館がデューラーの家です。アルブレヒト・デューラー・ハウスAlbrecht-Dürer-Hausは15世紀前半に建てられた木組みの家で、デューラーは1509年から亡くなる1528年までここに住んでいました。

デューラーハウスのリビングルーム
4階建ての大きな館は仕事場も兼ねており、ここに多くの徒弟や職人、使用人たちが一緒に住んでいました。
現在は博物館で、2階には台所とリビングルームが再現されており、工房だった3階では時々ワークショップが開かれています。屋根部屋にはデューラーの版画作品が展示されています。

デューラーハウスで開かれる銅版画ワークショップ
デューラーの家から城通りBergstraßeベルクシュトラーセを下りて来ると三角形のデューラー広場に出ます。ここに1840年、デューラーの銅像Albrecht-Dürer-Denkmal が立てられました。右手に筆、ペン、月桂樹の小枝の3本を持ち、左手はマントを押さえている姿です。

アルブレヒト・デューラーの銅像
ベルリンのウンター・デン・リンデン通りには有名なフリードリヒ大王の騎馬像がありますが、その像と同じ製作者、ドイツの名彫刻家クリスティアン・ダニエル・ラウフの作品です。
おもちゃ博物館 Spielzeugmuseum Nürnberg
古代から現代までのおもちゃの歴史を展示した博物館です。1920年代、まだ玩具に文化的価値を見出す人がいなかった頃、ニュルンベルクの夫妻がおもちゃを収集しました。

おもちゃ博物館のドールハウス
市は1971年、夫妻が集めた人形、木製玩具、ゲームなど12,000点を中心に博物館を設立しました。現在およそ87,000点を収蔵していますが、展示品はその5%ほどです。
2階は人形とドールハウス、3階は鉄道模型、蒸気機関車など、最上階はレゴやバービー人形など戦後のおもちゃ展示室です。おもちゃと言えども大変興味深く、特にドールハウス部門は圧巻です。

ドールハウスの台所
首切り人の橋 Henkersteg
おもちゃ博物館から南へ進むと再びペグニッツ川に出会います。ここにも中州があり、首切り人Henkerが住んでいた丸い塔が残っています。この風景は1本西側のマックス橋Maxbrückeから眺めるのが良いでしょう。死刑執行人は中世では忌避される職業だったので町の中に住むことができませんでした。

マックス端から眺める首切り人の塔と木製の橋
ニュルンベルクは中世ではペグニッツ川を挟んで南側のローレンツ地区と北側のゼバルドゥス地区に分かれており、それぞれ市壁で囲まれていました。つまりペグニッツ川にも市壁があったわけで、中州は町の外だったのです。
2つの地区が統合されて現在の形になったのは14世紀のことでした。その後は死刑制度の変化に伴い差別も薄れ、死刑執行人は18世紀までここに住んでいた、とされています。首切り人と聞くと怖い感じがしますが、古い塔と木製の屋根を持つ木橋は風情がありますね。
結婚メリーゴーランド Ehekarussell
中央駅に向かう途中のルードヴィヒ広場Ludwigsplatzにとても変わった噴水があります。北ドイツ、ブラウンシュヴァイクの彫刻家ユルゲン・ウェーバーの作品で、1984年に設置されました。
ニュルンベルクの中世ドイツ詩人ハンス・ザックスが妻のために書いた「ほろ苦い結婚生活」という詩を元に制作されたものです。新婚生活、中年の倦怠期、別れたくても離婚が認められない辛さ、年老いて死が近づいても喧嘩が絶えない、という結婚生活を表現したものです。

左:結婚メリードーランド。甘い新婚生活
右:蜜月が終わると喧嘩が始まる。宗教上離婚できず、結婚に縛られている夫婦
出来上がった当時は「極めて下品である」と顰蹙を買い、市民は撤去を求めました。それでも市当局は「現代芸術である」として撤去しませんでした。40年が経過した今では誰も非難をしません。町の人々は噴水の周りに集い、憩いの場になっています。かなり激しい表現の群像ですが、一見の価値はあるかも知れません。

左:女性は大食いして太り、男性はやせ細る
右:老年になって死を間近に控えていても憎しみ合う夫婦
ゲルマニア国立博物館 Germanisches Nationalmuseum
ドイツは多くの国が集まって1つの国になったため、それぞれの町に重要文化財が分散されています。ゲルマニア博物館はベルリンやミュンヒェンの世界的な博物館と同等の価値があります。じっくり鑑賞するなら丸1日かけても足りないでしょう。

ゲルマニア国立博物館に保管されたレガリアの箱
中世を知りたいならここ!という感じです。度量衡の歴史や農機具の歴史も判ります。絵画、古い楽器、コイン、ドールハウス、武器、美術工芸品、家具、宝飾品、時計、望遠鏡、地球儀、医学・薬学に関する展示などなど、書き切れないほど貴重な展示があります。

ゲルマニア国立博物館の世界最古の地球儀
絶対に見逃せないのはマルティン・ベハイムが1492年に制作した地球儀です。現存する最古の地球儀で、ユネスコの世界記憶遺産に登録されています。神聖ローマ帝国のカール大帝や皇帝ジギスムントなど、デューラーが描いた肖像画のオリジナルはここにあります。
ニュルンベルク焼きソーセージ Nürnberger Bratwurst
ドイツには至る所に美味しい名物ソーセージがありますが、このニュルンベルガーをトップに挙げる人が多いのではないでしょうか。1300年頃から作られていたそうです。ほかのソーセージと異なって黒っぽい10cmほどの小さなソーセージです。

ニュルンベルガー焼きソーセージ
訪れる人は最低でも6本は注文します。付け合わせはポテトサラダとザウアークラウト、そしてメーレッティヒと呼ばれる白ワサビの組み合わせが定番です。このソーセージは直火で焼く専門店で食べます。他のレストランでも注文できますが直火で焼いていないので味が異なります。

焼きソーセージ専門店 Zum Gulden Stern
市内には何軒かニュルンベルガーの専門店があり、特に有名な店はハンドヴェルカーホーフ内のBratwurstglöcklein、旧市街南西のZum Gulden Stern、市庁舎裏手のBratwurst Röslein、市庁舎の向い側にあるBratwursthäusleなどでしょうか。これらは時間に関係なく常に満席なので必ず予約を取って下さい。

左上:銅製のフライパンが吊り下がる店内
右下:ニュルンベルガーはこうして焼く
ホテル・ヴィクトリア Hotel Victoria
最後にニュルンベルクのホテルを紹介しましょう。見所の多い町なので連泊をお勧めします。
中央駅周辺には大きなホテルがいくつかありますが、中規模のホテルは如何ですか。1896年創業のホテル・ヴィクトリアは長い歴史を保っており、近年になって段階的に改築されて内部がすっかりモダンになりました。

ホテル・ヴィクトリア(右隣はハンドヴェルカーホーフ)
ハンドヴェルカーホーフの隣なので上の部屋からは中庭が見下ろせます。中央駅は目の前です。立地の良さに加えて朝食も充実しており、一度泊まったらリピーターになること間違いなしです。

ホテル・ヴィクトリアの豊富な朝食 デザートも美味しい
Text und Fotos:Hiromi Okishima
ニュルンベルク観光局
Congress- und Tourismus-Zentrale Nürnberg
住 所 | Frauentorgraben 3, 90443 Nürnberg |
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電 話 | +49 (0) 911 2336-116 |
U R L | |
S N S | https://www.facebook.com/tourismus.nuernberg |
フランケン観光局
Tourismusverband Franken e.V.
住 所 | Pretzfelder Straße 15, 90425 Nürnberg |
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電 話 | +49 (0) 911 941 51-15 |
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古城街道協会
Die Burgenstraße e.V.
住 所 | Pretzfelder Straße 15, 90425 Nürnberg |
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電 話 | +49 (0) 911 881838-00 |
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ホテル・ヴィクトリア
Hotel VICTORIA Nuremberg
住 所 | Königstraße 80, 90402 Nürnberg |
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電 話 | +49 (0) 911 24050 |
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