フランケン地方を巡る旅 ~ 古城と宮殿を求めて その2.コルムベルクからカドルツブルクまで

市壁で囲まれた可愛らしい町 ヴォルフラムス=エッシェンバッハ
その2.コルムベルクからカドルツブルクまで
Auf der Suche nach alten Burgen und Schlössern, Teil 2
菜の花畑を過ぎると丘の上に城が
ローテンブルクを出ると、直ぐに低い丘や畑が広がる田園地帯が現れます。所々に黄色で埋まった菜の花畑がありました。5月末でしたが、ドイツにやっと春が来た、という感じです。
5月は白アスパラガスの季節でもあります。以前この道で、脇の畑でとれた白アスパラガスを売っていましたが、今日は屋台が出ていません。

コルンベルクへ行く途中の菜の花畑
ホワイトアスパラガスは6月24日の「聖ヨハネの日」までしか収穫されないので、それ以降はドイツで食べることができません。夏至を過ぎると日照時間が短くなります。多年草のアスパラガスに十分な休息を与えるため、聖ヨハネの日が区切りになっています。申し合わせたように収穫されなくなるのは、旬にこだわるドイツ人らしい文化ですね。

旬のホワイトアスパラガス料理を辛口のフランケンワインと共に
コルムベルク城ホテルにて
ニュルンベルクへ向かう国道14号線は通称「ドイツ古城街道」と呼ばれています。街道の前方左手に古城が見えてきました。コルンベルク城Burg Colmbergです。
コルンベルクはとても小さな町ですが、城の下にバス停があります。わずか35mの高台なので、バス停から歩いて直ぐです。城への坂道を登って行くと、鹿が飼育されている囲いがありました。
立ち止まって見ていると可愛い顔をした鹿たちが寄ってきました。聞くところによると、この鹿たちはレストラン・コルムベルクの名物、鹿料理のために飼育されているとか。
あ、そうなんだ、と少しショックでしたが、こういう事はよくあることですね。

飼育されている鹿
ブルク・コルムベルク Burg Colmberg
13世紀にシュヴァーベン=フランケン伯爵が建てた城を14世紀にホーエンツォレルン家出身のニュルンベルク伯が買い取り、それ以来およそ500年の間ホーエンツォレルン家のものでした。後にブランデンブルク選帝侯となるニュルンベルク城伯フリードリヒ6世が、ここに住んでいたこともありました。最後の城主は狩りの館として使っていましたが、1964年から古城ホテルになっています。

古城ホテルになっている「コルンベルク城」
まず目に留まるのは太くて高い塔です。高さ35mというのは4階建ての建物くらいあります。ドイツ語でBergfriedベルクフリートと呼ばれ、城主が逃げ込む最後の砦、つまり天守閣のことです。

ドイツ語で「ベルクフリート」と呼ばれる城主の最後の砦
その先に木骨の館があり、中世風ではありませんが、それまで石の壁だった暗い厩(うまや)を18世紀に改築しました。ホテルの入口はここにあります。
エントランスホールには熊の剥製や沢山の鹿の角が飾られ、狩りの城を思わせます。

ホテルの入口がある木組の壁

エントランスホールにある熊の剥製
本館の古い部屋にはロビーから階段を上がって行きますが、18世紀に改築された館の部屋へは奥のエレベーターで上がれます。本館には礼拝堂や図書室があります。広い廊下に置かれた家具はどれも古めかしく、そして立派です。

本館にある図書室
本館で最も大きな客室は「城主の部屋」という小窓の付いた部屋で、この窓は1mほどある壁の厚みを利用して造られました。同じように壁の厚み部分を腰かけに造った窓が廊下にもありました。こちらは3mもありそうな厚さです。
こういう窓に近づくことは「窓辺に行く」のではなく、「窓の中に入る」と言うそうです。面白い表現ですね。

「窓の中に入る」??
新館の部屋はどれも新しく、近年リフォームされたスイートルームもあります。
その1つは胸壁を取り込んだ部屋でした。胸壁とは防御用の城壁で、内側には兵士が歩く回廊があり壁に銃砲を出せる穴があります。部屋からはベランダのように胸壁へ出られます。

新館の胸壁を取り込んだ部屋
胸壁の下の屋根に白いオバケのようなオブジェを見つけました。後でスタッフに尋ねると、この城に時々現れる「白い女」と呼ばれる幽霊で、フランケン地方にあるホーエンツォレルン家の城に現れるそうです。その理由は判らないとのことでした。

胸壁の下の屋根にある白いオバケのようなオブジェ
レストランも改装されて明るくなり、突き当りの部屋はガラス張りで遠くの野山まで見渡せます。
夕食では案の定、ホテル名物の鹿料理を薦められましたが、旬のホワイトアスパラガスを頂きました。近くの畑で収穫されたそうです。ソースは卵黄とバターで作るホランダイゼ。辛口のフランケンワインと共に味わう旬のホワイトアスパラガス。この時期ならではのドイツを楽しみました。

遠くの野山まで見渡せるレストラン
アンスバッハ Ansbach
国道14号線をニュルンベルクへ向かって走ります。アンスバッハには、ローテンブルクから鉄道で行くこともできます。長閑な田園風景が続いていましたが、小さな町が見えてきました。アンスバッハです。

アンスバッハ・レジデンツ宮殿
アンスバッハは14世紀からホーエンツォレルン家が統治し、15世紀に同家がブランデンブルク辺境伯になったことでブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯領となりました。
小さな町にしては大きな宮殿があり、550室の27室が公開されています。

宮殿内にある「ゴブラン織りの間」
辺境伯のコレクションである絵画ギャラリー、ロココ様式の鏡の間、辺境伯や夫人の居室など豪華な部屋が次々と現れます。その中でも圧巻なのはファイアンス焼きタイルで覆われた「タイルの間」です。

ファイアンス焼き「タイルの間」
ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯のフリードリヒ・ヴィルヘルムは1710年にファイアンス工房を設立しました。そこで制作された2800枚のタイルが壁を覆っています。草花や鳥、鹿などが描かれていますが、1枚たりとも同じ絵柄はありません。いつまでも鑑賞していたい特別に印象的な部屋でした。

1枚たりとも同じ絵柄はないタイルの壁
宮殿の向い側に広い城庭園が広がっています。オランジェリーと呼ばれる温室だったロココ様式の建物が庭園の北端にあります。ここで毎年6月末から7月初めにかけて「ロココ祭り」が開催され、オランジェリーの前で18世紀の衣装をまとった町の人々が踊りを披露します。

全長102mもあるオランジェリー
リヒテナウ要塞 Festung Lichtenau
まるで要塞ミニ版のようなリヒテナウです。アンスバッハからおよそ10Km東へ走ると、右手に古城跡かな、と思う建物が見えてきます。アンスバッハから路線バスがあるので簡単に来ることができます。

町の中にあるリヒテナウ要塞
リヒテナウは古城ではなく、中世の要塞です。リヒテナウの町は1408年から神聖ローマ帝国が崩壊した1806年までニュルンベルクの領土でした。町の中心部にある五角形の要塞は15世紀にニュルンベルクの防御前線基地として建設されました。そのためかベルクフリートはニュルンベルク城の塔によく似ています。

堅固な要塞の門
本格的な要塞は通常、見上げるような高台に聳えていますがリヒテナウ要塞は道に門があり直ぐ中に入れます。頑丈な門楼から入って行くと長方形の建物があり、現在はバイエルン州立ニュルンベルク文書館になっています。

文書館になっている中央の建物
外側は見学自由で、稜堡内をぐるりと一周できます。五角形の稜堡を備え、突き出した見張り台が9か所にあります。そこはバッテリーと呼ばれ、大砲を置く場所でした。この要塞は16世紀半ばに強化されましたが、もはや軍事的にこの様な軍事基地は時代遅れになっていました。攻城砲による攻撃に対抗できなかったので使われなくなり、そのお蔭で現在の状態で完璧に保存されました。

バッテリーと呼ばれる大砲置き場
防御前線基地とはどんなものでしょうか。アンスバッハのフランケン伯がニュルンベルクを攻める時はリヒテナウを通りました。そのため、ニュルンベルクへ到着する前にここで打ちのめす、というわけです。それはかなり効果があったようです。
戦争が野外戦に変わり、この要塞は不要になりました。それでも撤去せず、19世紀には修復までして今日まで保存してきました。歴史と文化を徹底的に保存するのは、いかにもドイツらしい、と感じます。

非常に保存状態の良いリヒテナウ要塞
ヴォルフラムス=エッシェンバッハ Wolframs=Eschenbach
さらに東へ8Kmほど進むとヴォルフラムス=エッシェンバッハが現れます。アンスバッハから路線バスが出ています。本当に小さな町ですが全体が市壁で囲まれ、とても可愛らしい町です。13世紀から19世紀初頭まで、ここはエッシェンバッハというドイツ騎士団の町でした。

市壁で囲まれた旧市街
ドイツ騎士団は1809年にナポレオンによって解体され、エッシェンバッハはバイエルン王国の行政下に入ります。ドイツ中世の詩人ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハがこの町出身であると言われることから、バイエルン政府は1917年に町名をヴォルフラムス=エッシェンバッハに改名しました。

ヴォルフラムス=エッシェンバッハの中心通り
こぢんまりとした旧市街は真ん中にハウプトシュトラーセHauptstrasse(中心通り)が1本走っています。
この両側にレストランや居酒屋、カフェが並び、市庁舎、13世紀にドイツ騎士団によって設立された聖母教会、ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの作品を紹介した博物館があります。

ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ博物館
博物館の前に竪琴を手にしたヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの像が立つ噴水がありました。
リヒャルト・ヴァーグナーは詩人エッシェンバッハの『パルツィヴァルParzival』を文学の原点と捉えて参考にし、『パルジファルParsifal』や『ローエングリーン』、『ターンホイザー』を生み出しました。

ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの噴水
ハウプトシュトラーセの東端には下市門が、西端には上市門が保存されています。西の上市門で興味深いものを見つけました。門の上に上がる石段ですが支えがなく、一体どうやって造ったのでしょうか。
右の壁に石を埋めているらしく、中世からこの状態で保たれているそうです。手すりもないので登ってみませんでしたが、なんとも不思議な石段でした。

土台のない石段
カドルツブルク Cadolzburg
ヴォルフラムス=エッシェンバッハからニュルンベルクまでは車で40分ほどですが、少し遠回りして由緒ある古城を訪れてみました。ニュルンベルク城伯の城、森で囲まれたカドルツブルクです。ニュルンベルク中央駅からは電車とバスで50分ほどの距離です。

カドルツブルクの町
1157年の文献では8世紀頃のKadold伯爵の城、Kadolds Burgとなっています。1260年からホーエンツォレルン家出身のニュルンベルク城伯の城になり、14世紀中頃にKがCに変ってCadolsburgとなりました。
1397年に城伯フリードリヒ6世がほぼ現在見られる大規模な城に改築しましたが、彼は1415年にブランデンブルク辺境伯フリードリヒ1世となってニュルンベルクを去りました。

カドルツブルク城
しかしこの城が恋しかったのか、1425年に家督を息子に譲り、カドルツブルク城へ戻って隠居生活を楽しみ、1440年にここで生涯を閉じました。フリードリヒ6世といえば、あのプロイセン王国の祖となった人物です。かれが好んだフランケン森の城とはどんな館だったのでしょう。

跳ね橋を渡る(左)
2重になった城門をくぐる(右)
カドルツブルクの町が既に高台にあるため、城は城門と本館が堀で離されて吊り橋が架かっています。吊り橋を渡って中庭に入ると巨大な櫓のような装置がありました。戦争で使う兵器か、と思ったら築城の際に石を運ぶクレーンでした。シュタインツァンゲという石材用の大きなペンチが吊り下がっています。

城の中庭
石垣や壁の石には必ず穴が空いているのをご存じですか。中で虫が巣を作っていそうですが、これはペンチで石を挟むために空けられたものなのです。このクレーンは輪の中を人が歩いて動かし、石を積み上げました。

石積み装置
カドルツブルク城は第二次世界大戦で破壊され、しばらく放置されたままでした。1982年から修復工事が始まり、数十年の歳月をかけて2017年に城博物館としてオープンしました。

見張り廊下
フランケン地方の歴史や中世の城の構造、武器や武具などを詳しく解説した学習型ミュージアムです。オリジナルの見張り廊下が保存されており、ここを歩き回って城を守っていた様子が想像できました。

学習型ミュージアムにある初期の鎧(左)と兜と鉄の手(右)
ニュルンベルク城伯の時代、ここが支配の中心になり多くの王侯貴族が城を訪れました。その後もホーエンツォレルン家の人々が好み、18世紀末まで狩りの城として利用され続けました。

西側から眺めるカドルツブルク城
城は一度も攻め落とされたことがありません。城を出て町のブルク通りを歩くと色々な角度から城を眺められます。いかに防御に優れていた城であったか、堅固な姿が強く印象に残りました。
Text und Fotos:Hiromi Okishima
古城街道協会
Die Burgenstraße e.V.
住 所 | Pretzfelder Straße 15, 90425 Nürnberg |
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電 話 | +49 (0) 911 881838-00 |
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コルムベルク城ホテル

近年リフォームされた新館のスイートルーム
Hotel Burg Colmberg
住 所 | An der Burgenstraße, 91598 Colmberg |
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電 話 | +49 (0) 9803 91920 |
Eメール | info@burg-colmberg.de |
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アンスバッハ宮殿
Residenz Ansbach
開館時間 | [4月~9月] 9:00~18:00 |
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休 館 日 | 月曜 |
住 所 | Promenade 27, 91522 Ansbach |
電 話 | +49 (0) 981 953839-0 |
U R L | https://www.schloesser.bayern.de/deutsch/schloss/ |
リヒテナウ要塞
Festung Lichtenau
見学時間 | [4月~10月] 毎日 10:00~17:00 |
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休 館 日 | 要塞の外部見学のみ |
住 所 | Von-Heydeck-Straße, 91586 Lichtenau |
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ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ博物館
Museum Wolfram von Eschenbach
開館時間 | [4月~10月] 火~日 14:00~17:00 |
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住 所 | Wolfram-von-Eschenbach-Platz 9, 91639 Wolframs-Eschenbach |
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カドルツブルク城
Burg Cadolzburg
住 所 | Burghof 3, 90556 Cadolzburg |
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電 話 | +49 (0) 9103 70086-15 |
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