フランケン地方を巡る旅 ~ 古城と宮殿を求めて その5.コーブルク

2025年10月15日 掲載

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マルクト広場とアルベルト殿下の銅像

マルクト広場とアルベルト殿下の銅像





その5.コーブルク Coburg


最古のコーブルクの記録は1056年です。それによると11世紀半ば、コーブルクの丘はケルン大司教に寄進されて修道院が建てられました。13世紀に丘の上は城塞になり、麓に市が立って町へ発展していきます。コーブルクはニュルンベルクからライプツィヒへ至る通商路として栄えました。

14世紀半ばに神聖ローマ皇帝は、マイセン辺境伯であるヴェッティン家のフリードリヒ1世にこの地を与え、翌年ザクセン選帝侯の位も与えました。これよりコーブルクはフランケン地方の町でありながら、“ザクセン”と呼ばれるようになったのです。



北側から眺めるコーブルク城塞

北側から眺めるコーブルク城塞




ザクセン系の領邦は中世からいくつもありましたが、お家断絶によって領土再編を繰り返していました。最終的にコーブルクは1826年、ザクセン=ゴータ公国と統合され「ザクセン=コーブルク=ゴータ公国」が誕生しました。小さな公国でしたが、1918年のドイツ革命で君主制が廃止されるまで生き延びました。

コーブルクはフランケン地方の一都市ですが、見所の多い美しい町です。丘の上には堅固な城塞が聳え、町の中には瀟洒な宮殿があります。コーブルク・ソーセージも有名なので是非、味わいましょう。





コーブルク城塞 Veste Corburg

まずは最も有名な城塞、ヴェステに行きましょう。“フランケンの王冠”と呼ばれている様に、この古城は南西方向から眺めると丘の上に冠を乗せたように見えます。

町の中にある宮殿のエーレンブルク城と区別するために地元の人は“ヴェステ(城塞)“と呼んでいます。丘の上へは町からシャトルバスが出ているので、行きはこのバスの利用をお勧めします。



コーブルク城塞は町のシンボル

コーブルク城塞は町のシンボル




最後まで城主が住んでいた城塞としてドイツ最大と言われています。城は何度も改築され、増築されて今日の規模になりました。

通常、城塞は戦争に備えるものなので、火薬が発達して大砲の弾が城内へ届くようになると役目を終えます。戦争は野外で行われ、王侯貴族は町の中に住むようになります。

ところがコーブルク城塞は、公爵の住居として機能し続けました。この姿形が美しかったので、迎賓館としても使われたからです。



堅固な城塞は今も健全

堅固な城塞は今も健全




バス停から城の入口まで急な坂を上って行きます。城は3重の防御壁で囲われ、防壁と防壁の間には堡塁があるので裾野が広がり、見事に防御されています。30年戦争にも耐えた難攻不落の城でした。

目の上に迫る砦に圧倒されながら、やっと大きな門をくぐると中庭へ出ます。中庭はいくつかの建物に囲まれており、手前にある木骨家屋が公爵の住居Fürstenbauだった館です。ここに城見学の入口があります。



中庭に現れる公爵の住居

中庭に現れる公爵の住居




公爵の館は宴会ホールから始まります。1504年に改築された30m近い長さの広い部屋で、3本の柱で支えられています。ここで舞踏会など様々なイベントが開かれました。



当時としては大変広い宴会ホール

当時としては大変広い宴会ホール




装飾的な部屋が多くて城塞の部屋とは思えませんが、迎賓館として19世紀に改装されています。歴代公爵家が集めた絵画、ガラス工芸品、武器などがまるで都市の博物館の様に展示されています。



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ガラスコレクションの部屋




宗教改革の折、城主のザクセン公ヨハン・フリードリヒは1530年4月から10月まで半年間、マルティン・ルターをコーブルク城塞で保護していました。ルターが住んでいた部屋はそのまま保存され、その部屋はさすがに古さを感じます。



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ルターが滞在していた部屋




城内で最も価値あるのは、狩猟用象嵌細工室Jagdintarsienzimmerでしょう。象嵌細工で描かれた狩りの場面60枚が壁にはめ込まれており1632年に完成しました。フランケン地方の傑作とされています。



狩猟用象嵌細工の部屋

狩猟用象嵌細工の部屋




象嵌細工の壁の絵もさることながら、天井の寄せ木細工とそこに施された模様も見事でしばらく見とれてしまいます。こんな見事な部屋は他の城で見たことありません。フランケンに限らずドイツ全体の中でも極めて芸術的な部屋です。



天井の寄木細工も見事

天井の寄木細工も見事




見学コース最後の方で、公爵の馬車と橇が展示された部屋がありました。16世紀にヨハン・カシミール公の結婚式で造られた馬車は、よく今日まで綺麗に保存されてきたな、と感心します。公爵の装飾的な橇も興味深いものでした。 



カジミール公爵結婚式の馬車

カジミール公爵結婚式の馬車




帰りは散歩を兼ねて、城庭園Hofgartenの中を町まで歩くのは如何でしょうか。30分ほどかかりますが、緩い下り坂で森の中は快適です。エーレンブルク城がある城広場Schlossplatzまで散歩道が続いています。



散歩道

左:城を後に丘を下る
右:散歩道の途中にある雨宿り小屋




道の途中で振り返るとコーブルク城塞が見えました。なるほど南西側から眺めると冠のような形をしています。城広場の前にエルンスト2世の騎馬像がありました。

父エルンスト1世から受け継いだザクセン=コーブルク=ゴータ公国を発展させた公爵です。英国ヴィクトリア女王の婿となったアルベルト王子の兄で、オーストリアのヨハン・シュトラウス息子を援助したことでも知られています。



南西側から眺めるコーブルク城塞&エルンスト2世の騎馬像

左:南西側から眺めるコーブルク城塞は冠のよう
右:城広場に面したHerzog Ernst II.騎馬像






エーレンブルク城 Schloss Ehrenburg

16世紀半ば、ザクセン=コーブルク公爵ヨハン・エルンストは、コーブルク城塞が丘の上で住み難いので町の中に城を建てる決意をしました。1543年から始まった新宮殿は、1547年に一応完成します。

新しい城は次のヨハン・カシミール公爵の時代から機能し始めます。1592年にはルネサンス様式の外観になりましたが、今日の城になったのは19世紀のことです。



エルンスト1世像とエーレンブルク城

エルンスト1世像とエーレンブルク城




ナポレオン戦争が終わると、コーブルクは公爵領として生き残りました。1806年に公爵を受け継いだエルンスト1世は国の再建に尽力しました。彼の銅像は城広場Schlossplatzの中央に立っています。

建築に関心の高かったエルンスト1世は、ベルリンの建築家カール・フリードリヒ・シンケルを起用して1811年、エーレンブルク城を英国風のネオ・ゴシック様式に改築しました。城壁も囲いもなく、町の中に佇む瀟洒な城館です。



メイン階段の天井は19世紀に改修されている

メイン階段の天井は19世紀に改修されている





英国ヴィクトリア女王とアルベルト殿下

ガイドツアーは2階から始まります。最初の部屋にコーブルクのアルベルト殿下と英国のヴィクトリア女王の肖像画が飾られています。この二人は従兄妹同士で、デンマーク王である叔父の薦めで結婚しました。コーブルクはアルベルトの兄で長男のエルンスト2世が継ぎます。



若きアルベルト殿下とヴィクトリア女王

若きアルベルト殿下とヴィクトリア女王




次男のアルベルトは国に留まる必要がなかったので、婿養子のような形でヴィクトリア王女との縁談が持ち上がりました。互いに面識はなく、言い伝えでは二人とも乗り気でない縁談だったのですが、会った瞬間にヴィクトリア王女はアルベルト王子に一目惚れしたそうです。

大変夫婦仲が良く、9人の子宝に恵まれました。しかしアルベルトは42歳で病死してしまいます。



中年になった女王と殿下

中年になった女王と殿下




悲しみに暮れたヴィクトリアは、喪服を脱ぐことがありませんでした。それでも女王としてしっかり国を守り、81歳まで長生きしました。

晩年は80Kgまで達したと言われるヴィクトリア女王ですが、肖像画は若くて細っそりしていた頃と、まだ中年でふくよかな頃の2枚が見られます。



天井に施された分厚いスタッコ細工

次に案内される西棟の大ホールは「巨人の間」と呼ばれています。幅12m、長さ22.5mの柱のないホールで、28体の巨人が梁を支えています。


28体の像が梁を支える「巨人の間」

28体の像が梁を支える「巨人の間」




梁の上に公爵の先祖ヴェッティン家の領地だった56のワッペンが刻まれ、天井にはローマの女神ミネルヴァが描かれています。大きくて豪華なシャンデリアも見事です。

部屋に入った瞬間、何か不思議な力が押し寄せてくるのを感じました。壁も天井も全ての彫像が素晴らしく、これほど迫力のあるホールは滅多にありません。



巨人の間天井

巨人の間天井




「ゴブランの間」には鮮明なタペストリーが飾られています。ゴブラン織りのタペストリーは保存の方法がよほど良かったのでしょう、まるで新しいように見えます。エキゾチックな絵柄も鑑賞に値します。



ゴブランの間

ゴブランの間




この部屋の天井にも、次に続く「赤の応接間」の天井にも見事なスタッコStucco細工が施されています。
天井に施された彫像は大きなものもあり、落ちてこないのかと気になります。そう感じる人が多いのでしょう、きちんとした説明がありました。



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赤の応接室天井




天井に飾る彫像には何カ所かに留め釘があり、天井が像を支える構造になっています。納得がいきましたが、この見事な装飾天井は、誰が思いついたのでしょうか。

それは1675年から1699年までザクセン=コーブルク公爵だったアルブレヒト公でした。
彼はエーレンブルク城に住んでいました。1690年に城で火災が発生し、その後の修復工事の際に内部をバロック様式に改装しました。この時に北イタリアからスタッコ装飾の職人たちを呼び寄せ、各部屋に豪華なスタッコ細工を施したそうです。



「ゴブランの間」天井

「ゴブランの間」天井




「玉座の間」は東棟2階の中央に位置します。フランス人建築家を起用して1833年に内装を変えました。

フランス帝政期の新古典主義様式とされ、赤いベルベットのカーテン、金箔を施した家具、色とりどりの象嵌細工を施した寄木細工の床、そして天井の見事な漆喰装飾にやはり見とれてしまいます。

素晴らしい天井ばかり鑑賞しているので、首が疲れてきました。2階角の「木の部屋」は漆喰ではなく、寄せ木細工で覆われていました。



戴冠の間

戴冠の間




北翼にはヴィクトリア女王が滞在した時の部屋が当時のまま保存されています。寝室の横奥に1860年、イギリスから調達した女王専用のトイレがあります。これはイギリスを除くヨーロッパで最初の水洗トイレでした。

女王は中年になるとかなり体重が増加し、階段を上るのが困難になりました。そのため女王のために手動式のエレベーターが設置されたそうですが、それは残っていません。



トイレのあるヴィクトリア女王の寝室

トイレのあるヴィクトリア女王の寝室




3階はプライベートルームが多く、それぞれ素晴らしい家具調度品が見られますが、2階のように見事なスタッコ細工天井の部屋ではありません。城の1階、中庭から入る西翼には城の礼拝堂があります。



西翼の城教会Hofkirche

西翼の城教会Hofkirche





シュトラウス記念室

城内にはウィーンで活躍したヨハン・シュトラウス(息子)の記念室があります。
彼は最初の妻に先立たれて再婚しましたが、再婚相手とはうまくいかず、新たに知り合ったアデーレと結婚したいと思いました。



シュトラウス記念室

シュトラウス記念室




しかし、19世紀のオーストリアはカトリック教国で、離婚が認められませんでした。コーブルク公爵家はウィーンに宮殿があり歴代侯爵が頻繁に訪れていました。

当時の公爵エルンスト2世とシュトラウスはウィーンの弁護士を通じて知り合い、公爵は1887年にシュトラウスをプロテスタント教国コーブルクに招待しました。



コーブルク市民になったヨハン・シュトラウス

コーブルク市民になったヨハン・シュトラウス




シュトラウスはオーストリア国籍を捨て、プロテスタントに改宗してコーブルクの国籍を得ました。
こうして離婚が成立し、アデーレと結婚することができました。シュトラウス61歳、アデーレ26歳です。35歳もの年齢差がありましたが、幸せな結婚生活を送ったそうです。



シュトラウスの3番目の妻アデーレ

シュトラウスの3番目の妻アデーレ






コーブルク市内観光

旧市街は南のケッシェン門Ketschentorから始まります。ここから真っすぐ進むとマルクト広場に出ますが、その前に右へ折れてモーリッツ教会へ行きましょう。町の守護聖人である聖モーリッツを語らずに市内観光は始まりません。



ケッシェン門とケッシェン通り

ケッシェン門とケッシェン通り





市教会聖モーリッツ Stadtkirche St. Moriz 

町に現存する最古の教会です。11世紀から13世紀までここに修道院がありました。その跡地に1323年、聖モーリッツ教会が建設されました。プロテスタント系の教会になり、宗教改革時の1530年にマルティン・ルターがここで何度も説教を行っています。



聖モーリッツ教会

聖モーリッツ教会




東側の聖歌隊席が最も古く、祭壇にはコーブルク公爵家の墓所があります。ヨハン・カシミール公爵時代の16世紀から19世紀まで、歴代公爵はここに埋葬されてきました。

1598年にカシミール公爵は両親の墓石を建設しました。高さ13m、幅6mもあり、「ドイツで最も美しいルネサンス期の墓碑」と謳われ、聖堂内でひと際輝いています。



聖モーリッツ教会の祭壇

聖モーリッツ教会の祭壇




西側入口に聳える2つの塔のうち、高さ42mの南塔は15世紀に建てられ、高さ72mの北塔は19世紀に建てられました。建設年代が異なるため塔の高さも異なっています。

内部が18世紀にバロック様式に改築され、公爵家の墓所は手狭になったので1860年以降は別場所に埋葬されました。



公爵家の墓

公爵家の墓




この教会は一般にモーリッツ教会Morizkircheと呼ばれていますが、聖モーリッツとは誰なのでしょうか。

彼はアフリカ系の聖人という非常に珍しい存在です。エジプト出身で4世紀初頭のローマ帝国軍指揮官でした。当時は異教だったキリスト教徒を迫害する命を受けましたが断固拒絶。その結果、軍隊ごと殉職させられました。



聖モーリッツが描かれたマンホールの蓋

聖モーリッツが描かれたマンホールの蓋




信仰のため命を捧げたモーリッツはキリスト教世界で尊敬されており、殉職地スイスとその隣国ドイツ、フランスで彼の名前を冠した教会が見られます。アフリカ系の聖人としての描写は特異であり、文化的に興味深いためモーリッツを守護聖人に選ぶ町や教会もあります。

1430年にコーブルクが市の紋章を聖モーリッツに定めた時、人種差別による反対意見が多かったそうです。しかし敬虔な信者たちによって認められました。




アルベルト殿下の銅像 Prinz Albert Denkmal

マルクト広場の中央に立つ銅像は、英国ヴィクトリア女王の夫アルベルト殿下Prinz Albertです。
コーブルクの発展に貢献した公爵は何人もいますが、マルクト広場に設置されたのはアルベルト殿下の銅像でした。今でも市民から熱烈に愛され続け、コーブルクの名を世界に知らせた、と言えるでしょう。



アルベルト殿下の銅像

アルベルト殿下の銅像




この銅像はヴィクトリア女王からコーブルク市に贈られたものです。殿下は1861年に亡くなり、女王は彼の故郷に銅像を寄贈しました。1865年の除幕式には女王も参列しています。




シュタットハウスと市庁舎 Stadthaus und Rathaus

アルベルト殿下の背後にある立派な建物はシュタットハウスと呼ばれ、1597年にヨハン・カジミール公爵が建設した歴史的建造物です。公爵の執務室がここに置かれ、政治の中心でした。
現在は市役所関連のオフィスとして使われ、1階はショッピングアーケードになっています。



公爵の政治が行われたシュタットハウス

公爵の政治が行われたシュタットハウス




シュタットハウスの向い側にある市庁舎は、市民の自治の象徴としてシュタットハウスより早い1414年に建てられました。1904年に建て替えられて現在の立派な建物になっています。
コーブルクにはまるで市庁舎が2つあるような感じですが、町の歴史上そのようになりました。



シュタットハウスの向い側にある市庁舎

シュタットハウスの向い側にある市庁舎




市庁舎正面中央、三角形の小屋根の上に聖モーリッツの像があります。高い所なので小さく見えますが、元帥杖(げんすいじょう)というバトンを手にしています。

モーリッツは古代ローマの司令官だったので、指揮権の象徴である元帥バトンMarschallstabを持っています。通常、このバトンは40cmほどあるものですが、ここでは24cmと短め。それは町の名物ソーセージの長さに合わせたからです。コーブルク市のユーモアですね。



市庁舎屋根の聖モーリッツ

市庁舎屋根の聖モーリッツ





コーブルク焼きソーセージ Coburger Bratwurst

その焼きソーセージはシュタットハウスの前、マルクト広場の端で毎日焼かれています。元帥バトンと同じ24センチという長いソーセージです。丸いパンから相当はみ出ていますが、それが特徴です。



ソーセージの長さは24センチ

ソーセージの長さは24センチ




レストランでも食べることができますが、屋台で食べるのが一番おいしい!
マルクト広場の屋台では松ポックリを燃やして焼いており、独特の風味がソーセージに付きます。この風味は屋台でしか味わえません。



コーブルク焼きソーセージと広場の屋台

左:コーブルク焼きソーセージ
右:オリジナル焼きソーセージの屋台




大量の松ポックリが必要ですが、秋になると町の子供たちが森で集めて来るそうで、一年分の燃料が蓄えられるとのことでした。



燃料は松ポックリ 狭い小屋の中で焼かれる

左:狭い小屋の中で焼かれる
右:燃料は松ポックリ





ホーフ薬局 Hof-Apotheke

町の人は皆、美味しいコーブルク焼きソーセージを食べすぎる傾向があるらしく、その対策として開発されたリキュールがあります。マルクト広場の角にある薬局では、独自に開発したハーブのリキュールを販売しています。
建物は1543年に、最初から薬局として建てられました。



広場東側の右端角がHof薬局

広場東側の右端角がHof薬局




1864年から店のオーナーになった宮廷薬剤師のプリースナー氏は、飲みすぎ食べ過ぎに良く効くリキュールを開発しました。甘みがありながらスパイシーな味で、この秘伝のレシピが受け継がれていきました。

ソーセージを食べ過ぎたらこのリキュールを!というわけです。



町の名物Hofリキュール

町の名物Hofリキュール




このホーフリキュールHoflikörは公爵たちも愛飲しているので、彼らもきっとソーセージを食べ過ぎていたのでしょう。どれほどの効果があるのか判りませんが、これもコーブルクのユーモアですね。




コーブルガー・シュメッチェン Coburger Schmätzchen

コーブルク名物の菓子もあります。「シュメッチェン」というハチミツとアーモンドが入ったクッキーで、スパイスや柑橘類の味がします。



名物シュメッチェン

名物シュメッチェン




スパイスの香りが強いニュルンベルクのレープクーヘンに似ていますが、それ程癖がないので誰でも美味しいと感じるでしょう。

マルクト広場の近く、ローゼンガッセ通りにヴィルヘルム・ファイラーWilhelm Feyler Hoflieferanという、公爵家御用達の店があります。



ローゼンガッセのヴィルヘルム・ファイラー

ローゼンガッセのヴィルヘルム・ファイラー






ローゼナウ城 Schloss Rosenau

アルベルト殿下の死後もヴィクトリア女王は何度もコーブルクを訪れました。夫の故郷であるコーブルクを訪れることで慰めが得られるからでした。
コーブルクへ来るたびに、やって来た場所があります。それはアルベルトが生まれたローゼナウ城です。



遠くに見えるローゼナウ城

遠くに見えるローゼナウ城




1731年にコーブルク公爵フリードリヒ2世は古い城だったローゼナウ城を購入し、それは1805年にエルンスト1世の夏の離宮となりました。エルンスト1世はカール・フリードリヒ・シンケルを起用してローゼナウ城をネオ・ゴシック様式の城に改築しました。



ローゼナウ城入口

ローゼナウ城入口




コーブルク市の北東およそ8キロの森に、ローゼナウ城があります。コーブルクの劇場広場Theaterplatzからバスがでており、30分弱でRosenauローゼナウ停留所に着きます。

そこから自然公園になっているので、木立の中を歩くと小さな城が見えてきます。コーブルク城塞やエーレンブルク城を訪れた後なのでこの城は小さく感じますが、立派な城館です。



1階の大理石広間

1階の大理石広間




1階には豪華な「大理石の間」があります。その奥の礼拝堂には7枚の木製パネルに騎士が描かれており、この絵はエルンスト1世の妻ドロテア・ルィーゼ公爵夫人のお気に入りだったそうです。



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礼拝堂に描かれた騎士のパネル




夫妻の2人の息子、長男で跡継ぎのエルンスト2世王子と、次男のアルベルト王子はこの城で生まれました。自然に囲まれたローゼナウ城は、町のエーレンブルク城よりずっと良い環境でした。



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エルンスト2世のゆりかご




小ぢんまりしていますが、上階のどの部屋もエレガントで家具調度品も公爵家が使っていた時代と同じように再現されています。窓のすぐ下には階段状の庭園があり、その先は何処までも続く森が広がっています。まさに憩いの城です。



2階のホール

2階のホール




エルンスト2世王子とアルベルト王子は、この城で喧嘩をしながら仲良く育ちました。二人の部屋は上階に保存されていますが、そこは公開されていません。父の賓客が訪れると、王子たちは上階に押し込められたそうです。



2階のリビングルーム

2階のリビングルーム




ヴィクトリア女王とアルベルト殿下は、幼い頃の思い出がいっぱいのローゼナウ城を頻繁に訪れ滞在しています。それゆえに女王は殿下亡き後も、一人で何度もここにやって来ました。

彼女は「もし私が今の私でなければ、ここが私の本当の故郷だったでしょう」と日記に書いています。それほど愛着のある城なのです。



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館から見下ろすバルコニーの庭






ホテル・ヴィクトリア Hotel Victoria

ヴィクトリア女王の名を冠した素敵なホテルがあります。旧市街への入口ケッシェン門の近くに小さな館があります。
ホテルというより貴族の小さな館、という感じですが、その通り、個人の館をプチホテルに改築しました。



ホテル・ヴィラ・ヴィクトリア

ホテル・ヴィラ・ヴィクトリア




富豪のマダムが趣味で経営しているそうで、朝食時に現れます。いつでも利用できるリビングは、まるで城の小部屋のよう。朝食のビュッフェには質の高いハム、ソーセージ、チーズ、何種類ものシリアルが並んでいます。



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宿泊客が寛げるリビング




スクランブルエッグもありますが、茹で卵を希望の場合はマダムが“茹で時間”を聞きに来ます。
「3分!」というと丁度良い半熟玉子が出てきました。デザートのヨーグルトやケーキも沢山あり、ゆっくりと楽しむことができます。



朝食&ダイニングルーム

左:朝食用ダイニングルーム
右:盛りだくさんの朝食




出窓にはアール・ヌーヴォーの絵柄が描かれ、その特別席にずっと座っていたい気分。
ヴィクトリアの朝食は、まさに至福のひとときです。



おひとり様用の窓席

おひとり様用の窓席






文・写真:沖島博美(旅行作家)  
Text und Fotos:Hiromi Okishima(Reisejournalistin)  




コーブルク市観光局

COBURG MARKETING

住  所

Herrngasse 4, 96450 Coburg

電  話

+49 (0) 9561 89-8000

U R L

https://www.coburgmarketing.de




フランケン観光局

Tourismusverband Franken e.V.

住  所

Pretzfelder Straße 15, 90425 Nürnberg

電  話

+49 (0) 911 941 51-15

U R L

https://www.frankentourismus.de/




古城街道協会

Die Burgenstraße e.V.

住  所

Pretzfelder Straße 15, 90425 Nürnberg

電  話

+49 (0) 911 881838-00

U R L

https://www.burgenstrasse.de/




コーブルク城塞


19世紀に改装された公爵のサロン

19世紀に改装された公爵のサロン



Veste Coburg

開館時間

4/1~11/9 毎日 10:00~17:00
11/11~3/30 火~金 13:00~16:00 土・日 11:00~16:00

住  所

Veste Coburg, 96450 Coburg

電  話

+49(0)9561 879-0

Eメール

sekretariat@kunstsammlungen-coburg.de

U R L

https://veste.kunstsammlungen-coburg.de




エーレンブルク城


3階にある公爵夫人の寝室

3階にある公爵夫人の寝室



Schloss Ehrenburg

開館時間

9:00~18:00(10/6~3/31は10:00~16:00)
※見学はガイドツアーのみ

休 館 日

月曜

住  所

Schloßplatz 1, 96450 Coburg

電  話

+49(0)9561 8088-32

Eメール

sgvcoburg@ bsv.bayern.de

U R L

https://www.schloesser-coburg.de




ローゼナウ城


2階の応接室

2階の応接室



Schloss Rosenau

開館時間

9:00~18:00(10/6~3/31は~16:00)
※見学はガイドツアーのみ

休 館 日

月曜

住  所

Rosenau 1, 96472 Rödental

電  話

+49(0)9563 3084-10

U R L

https://www.schloesser-coburg.de




ホテル・ヴィラ・ヴィクトリア


ホテル・ヴィクトリア客室

ホテル・ヴィクトリア客室



Hotel Villa Victoria

住  所

Ketschendorfer Straße 2, 96450 Coburg

電  話

+49(0)171 855 2027

Eメール

info@hotel-villa-victoria.de

U R L

http://www.hotel-villa-victoria.de





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