フランケン地方を巡る旅 ~ 古城と宮殿を求めて その6-1.クローナハとクルムバッハ

クルムバッハのマルクト広場から見上げるプラッセンブルク城
その6-1.クローナハとクルムバッハ Kronach und Kulmbach
フランケン地方を巡る旅は最終に近づきました。コーブルクの東にクローナハがあり、そこから南へ下がるとクルムバッハがあります。いずれも名高い城塞都市です。
小規模な町なので電車は各駅停車で移動します。車窓から眺めるのは草原と麦畑。のんびりとした地方巡りの旅です。

クローナハのマルクト広場に建つ市庁舎
ドイツ中世の城塞として最大と謳われる名高い都市です。デューラーと並ぶドイツ・ルネサンス期の画家ルーカス・クラナハが生まれた町でもあります。
丘の上には980年頃に城が建てられたようですが、文献に登場するのは12世紀のことです。1122年、神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世はクローナハをバンベルク領主司教に贈与しました。1130年以降にバンベルク領主司教の指揮のもと、丘の上に新たな城が建設され、その後数世紀に渡って拡張されていきます。

上の町より城塞を見上げる
城塞の麓に町が形成され市壁で取り囲まれ、神聖ローマ帝国が解体される19世紀初頭までクローナハはバンベルク領主司教が支配していました。
麓の町は中世になると人口が増加して狭くなり、下方のハスラッハ川の畔に新たな町が建設されました。そのため先に建設された上の町は旧市街、下の町は新市街と呼ばれています。
ハスラッハ河畔から眺めると高台に城塞が、その下に上の町が、河畔には下の町、という3つの層になった町並みが見られます。

新市街である下の町
上の町オーバーシュタット Oberstad
鉄道駅は新市街である下の町ウンターシュタットUnterstadtにあります。ハスラッハ川を利用して物資が運ばれたため下の町は商人たちによって発展していきました。新市街と呼ばれていても中世の古い町です。
駅前から旧市街を通って城塞の真下まで行くバスが出ています。町の中心は旧市街である上の町で、マルクト広場と市庁舎がありバス停もあります。

旧市街である上の町
マルクト広場に銅像が立っていました。領主司教の像かと思って近づくと、絵筆を持ったルーカス・クラナハでした。
画家だった父親のハンスから絵を習ったルーカスは、ウィーンで活躍するようになると故郷のクローナハに因んでルーカス・クラナハを名乗りました。クラナハは15世紀の人ですが、今でも市民の誇りです。
旧市街には古い木組みの家屋も見られ、マルクト広場周辺に教会や民家が集まっている可愛らしい町です。

ルーカス・クラナハの銅像
城へ向かって緩い坂を上って行くと、麓に大きな建物がありました。メインストリートに面した立派な館で由緒ある建物の様ですが、刑務所だそうです。よく見ると確かに全ての窓に鉄格子が嵌められています。
すると建物から楽しそうな笑い声が聞こえました。皆で何かを作っている様な音がします。刑務所から笑い声が聞こえるなんて意外でしたが、クローナハの受刑者たちはこんな風に過しているようです。

立派な建物の監獄
ローゼンベルク城塞 Festung Rosenberg
いよいよローゼンベルクの城塞です。この丘は古くからローゼンベルク(薔薇の山)と呼ばれていましたが、薔薇が咲いていたわけでなく、単なる名称であるとのこと。コーブルクで立派な城塞に感心したにもかかわらず、このローゼンベルク城塞はさすがにドイツ最大だけあって押し寄せる力が半端ではありません。

ローゼンベルク城塞
途中で何度も立ち止まり、堡塁や城門などをじっくり鑑賞しました。12世紀に遡る城塞は数々の戦争を乗り越え、17世紀前半の30年戦争でも持ち堪えました。その後、堡塁が新たに作り直されて防衛システムが強化されています。
近代化された城塞は1759年の対プロイセン戦で威力を発揮し、敵の大砲はローゼンベルク城塞に達することはありませんでした。そんなわけで一度も破壊されたことがない城塞なのです。

第2防御壁の重い扉
古城ホテル Hotel Festung Rosenberg
実は、今日の宿泊所はこの城塞の中にあるホテルです。
JUFA(Junges Urlaub Für Alleすべての人のための新たな休暇)という名前の、“歴史的・文化的価値のある建物の中で歴史を体験する”というコンセプトで建てられました。

右手塔手前がホテルの入口
正面の立派な城塞門をくぐると、宿泊客は車で来てもそこで降りねばなりません。石畳の道を上がって大きな重たい扉を押し開けると第1の中庭に出ました。
建物の間の小路をぐるっと一周し、やっと天守閣の塔がある第2の中庭に到達しました。ホテルはそこにあります。その間、石畳の道をゴロゴロとキャリーケースを引っ張り上げて行くのは大変。キャスターが壊れそうです。

シンプルな客室
ホテルの入口はロマンティックなホテルと異なり博物館入口のようです。内部も優雅なシャトーホテルではなくシンプルでモダンな造りになっています。
客室はすっきりとして特別な飾りはなく、余分なサービスはありません。しかし部屋の窓のすぐ近くに堡塁や胸壁があり、中世感に溢れています。いかにも城塞の中に滞在している感じがして、これこそ本物の古城ホテルです!

どの部屋からも堡塁と城壁が見える
城塞を見学する
城塞の見学は中庭からです。ホテル前の塔は13世紀に建てられた天守閣で38mあります。塔の入口は12mという高所にあり、16世紀までは梯子を使って上り下りしていました。16世紀に細長い階段塔が追加されて、登りやすくなりました。

右は第3防御建物、左が本丸、この先に天守閣がある
天守閣の周りは長方形の4つの建物で囲まれ、この中にフランケン美術館 Fränkische Galerieがあります。祭壇画や彫刻など、フランケン地方の後期ゴシック期とルネサンス期の作品が展示されています。
この町出身のルーカス・クラナハと、ヴュルツブルクで活躍したティルマン・リーメンシュナイダーの作品は見逃せません。

左:リーメンシュナイダー作「マリアと幼子イエス」
右:クラナハ作「サロメ」
城の北側は平地になっているので、堡塁や城壁が何重にも張り巡らされていました。厚さが最大で14mもある頑丈な城壁もあります。

北側から眺める城塞
北側以外は絶壁になっているので麓から相当な高さがあり、プロイセン軍の大砲でさえ城内まで届かなかったというのは納得がいきました。
正面南の堡塁から町が一望できます。城の眼下にある先ほどの監獄が非常に大きいので驚きました。

中央右の大きな建物が監獄
ホテルにはレストランがあり、朝食はここに用意されます。昼食や夕食も可能ですが、もう一軒、本格的なレストランが堡塁の上にあるので夕方そこへ行ってみました。

堡塁の上にある赤い屋根のレストラン、バスティオン・マリー
バスティオン・マリーBastion Marieという赤い屋根の建物でフランケン料理とフランケンワインが売りです。旬の一品料理もあるので、やはり今でなくては食べられないホワイトアスパラガスを頂きました。

左:バスティオン・マリーのホワイトアスパラガス
右:ホテルのレストラン
大城塞といえばコーブルクやヴュルツブルク、オーストリアのザルツブルクなどが挙げられますが、このローゼンベルク城塞が最大規模である気がします。
ホテルは今まで経験したことのない本物の古城ホテルでした。特別な体験ができたローゼンベルク城塞を去るとき、城門上に彫り込まれたバンベルク領主司教の紋章をもう一度、敬意をこめて見上げました。

城塞門に彫り込まれたバンベルク領主司教の紋章
クローナハからクルムバッハまでは、途中の乗り換え時間を十分に見ても40分くらいです。駅から旧市街へは平らな道を歩いて10分ほどです。歩行者専用道路ラングガッセは両側にショップが並ぶ中心通りで、真っすぐマルクト広場へ延びています。

クルムバッハの中心通りランゲガッセ
マルクト広場に出ると、上方にプラッセンブルク城が現れました。宿泊ホテルの白馬亭Weisses Rossはマルクト広場に面しています。このホテルはエクスプレスチェックイン/チェックアウトなので入室に手間取りません。荷物を置いて、早速、目指すプラッセンブルク城に向かいました。
城へはマルクト広場の北東端にある市庁舎脇からシュピタール通りへ入ります。市庁舎は広場端という目立たない所にありますが18世紀半ばのロココ様式ファサードを持つ建物です。

マルクト広場のホテル白馬亭
クルムバッハは12世紀前半に要塞と城下町が建設されました。13世紀に町は都市権を獲得し、新しい城が完成。1340年に町と城はホーエンツォレルン家のニュルンベルク城伯のものとなります。
ニュルンベルク城伯フリードリヒ6世が選帝侯となってブランデンブルクへ移るとクルムバッハを息子のヨハンに継がせ、ヨハンはブランデンブルク=クルムバッハ辺境伯となりました。16世紀半ばのアルブレヒトの時代にフランケン領土を巡って戦争が起こります。クルムバッハ最大の危機です。

クルムバッハのマルクト広場
一度は勝利したものの1553年にプラッセンブルク城は完全に包囲されました。アルブレヒトは降伏して国外追放になり、1557年に亡くなりました。その後、クルムバッハはホーエンツォレルン家のブランデンブルク=バイロイト辺境伯に引き継がれていきました。
プラッセンブルク城 Plassenburg
シュピタール通りから細い路地に入り、城まで緩やかな坂道を登って行きます。両側に古い民家がぎっしり並ぶ風情のある路地です。直ぐに城の土手が現れ、そこから先は城です。

城へ上がる坂道
城門はなく、上がって行くと城の中庭に到達しました。中庭は「美しい中庭Schöner Hof」と呼ばれる大変美しいアーチの回廊が2階と3階に張り巡らされています。城内には小規模な展示も含めて4つの博物館がありますが、郷土史の上マイン地方博物館と錫博物館が知られています。

大きな城の中庭
上マイン地方博物館 Landschaftsmuseum Obermainには、最初の部屋に大変貴重な世界地図が展示されていました。北ドイツのエプストルフ修道院で発見されたため「エプストルフの世界地図」と呼ばれています。
エルサレムを中心に描かれたもので、30枚の羊皮紙を正方形に縫い合わせた直径3.57mの円形地図です。オリジナルは第2次世界大戦で焼失し、複製のみがあります。

最古と言われている世界地図
円形なのは地球の丸さを表したもので、推定では14世紀前半にエプストルフ修道院で作成されたとされています。2300以上の絵を含む、中世の世界地図最大で非常に貴重なものです。
館内には先史時代の発掘品やクルムバッハの工芸品が見られます。見事なビールジョッキなどが並んでおり、この町が工芸の町だったことが判ります。錫製品もありましたが、錫に関しては別館にもたくさん展示されています。

左:展示ホール
右:町の産業だった工芸品
白い婦人の伝説 Weiße Frau
館を移動する際に壁の隙間に白ずくめの女性人形を見ました。ヴァイセ・フラウWeiße Frau(白い婦人)と呼ばれるこの城の幽霊だそうです。
14世紀のこと、城の未亡人クニグンデはニュルンベルク城伯フリードリヒ4世の五男アルブレヒトに恋をし、再婚を申し出ました。しかし「2対の目が妨げになっている」と言われます。
彼女は妨げとは先夫の2人の子供と思い、2人を殺してしまいます。2対の目が居なくなったことを告げるとアルブレヒトは「妨げているのは私の両親です」と、結婚を拒絶しました。

白い女の人形
クニグンデは後悔の余りローマの修道院に入り、そこで亡くなりました。死後も後悔の念は収まらず、亡霊となってプラッセンブルク城に現れました。
その後も後悔し続け、そのうちホーエンツォレルン家の多くの城に現れるようになりました。なんとも痛ましい話ですが、コルンベルク城で見かけた白い幽霊のフィギュアはクニグンデだったのですね。
ドイツ・錫人形博物館 Deutsche Zinnfigurenmuseum
30万体以上の錫製人形を所蔵している世界最大の錫人形博物館です。錫の工芸品は南ドイツの土産物店で部屋飾りなどをよく見かけます。錫人形は薄いため、ジオラマではたくさん並べることが可能でボリューム感が出ます。

錫細工「死の舞踏」
1つの風景の中に人物を置いて、様々な場面が描かれていました。ポツダムのサンスーシー宮殿でフリードリヒ大王がフルートを演奏している絵は有名ですが、その通り再現されていました。
ヴァーグナーの楽劇『ラインの黄金』では、乙女たちから黄金を奪った小人族アルベリヒが描かれています。

左:フリードリヒ大王の演奏会
右:「ラインの黄金」より
錫人形が威力を発揮するのは戦争の場面で、いろいろな戦闘ジオラマがありました。そんな中、1553年11月26日の町の出来事は圧巻です。クルムバッハはバンベルクとヴュルツブルクの領主司教と同盟を結んだニュルンベルク市の軍隊に包囲されました。

1553年11月の情景
大きなショーケースの中にクルムバッハを取り巻くフランケン同盟軍のテント、馬車、兵士などおよそ2万体の錫人形が並べられています。言うまでもなく世界最大の錫人形ジオラマです。これを見ただけでもプラッセンブルクに登って来た甲斐がありました。

.皇帝軍に包囲されたクルムバッハ
クルムバッハのソーセージとビール Kulmbacher Bratwurst / Kulmbacher Bier
フランケン地方には行く先々で名物ソーセージがあります。クルムバッハ・ソーセージの特徴は細かく挽いた子牛肉に少量の豚肉を混ぜ、塩、胡椒、ナツメグ、キャラウェイなどを加えて直火で焼いたもの。以前、マルクト広場の屋台で食べたことがあり、その美味しさが忘れられません。

マルクト広場のビアレストラン
再び来ることができたので迷わずお昼は屋台へ行きました。夕食はゆっくり座って食べたいのでマルクト広場のレストランへ。この町のビールも有名で19世紀末に醸造所ができました。
広場角のオリジナル・ビアホイスラ Original Bierhäuslaではクルムバッハビールとソーセージが味わえる人気のレストランです。宿泊ホテルはマルクト広場なのでビールを飲み過ぎても大丈夫。白アスパラガス期間の終りが近いので、アスパラとソーセージのコンビを注文しました。

クルムバッハのソーセージとビール
翌日は土曜日でした。毎週末、マルクト広場に花の市が立ちます。朝早くから色とりどりの花鉢が並んで広場を飾っていました。曇り空の中で見上げるプラッセンブルク城は沈んでいます。
クニグンデの霊は、安らぐことがないのでしょうか。

マルクト広場の朝市
Text und Fotos:Hiromi Okishima(Reisejournalistin)
クローナハのホテル

ホテルのロビー
JUFA Hotel Festung Rosenberg Kronach
住 所 | Festung 1, 96317 Kronach |
|---|---|
電 話 | +49(0)9261 910 80 80 |
Eメール | kronach@jufahotels.com |
U R L |
クルムバッハのホテル

白馬亭のシングルルーム
Hotel Weisses Ross
住 所 | Marktplatz 12, 95326 Kulmbach |
|---|---|
電 話 | +49(0)9221 95650 |
Eメール | info@weisses-ross-kulmbach.com |
U R L |
クローナハ観光局
Tourist Information der Stadt Kronach
住 所 | Marktplatz 5, 96317 Kronach |
|---|---|
電 話 | +49 (0) 9261 97-236 |
Eメール | touristinfo@stadt-kronach.de |
U R L |
クルムバッハ観光局
Tourist Information der Stadt Kulmbach
住 所 | Buchbindergasse 5, 95326 Kulmbach |
|---|---|
電 話 | +49 (0) 9221 9588-0 |
Eメール | touristinfo@stadt-kulmbach.de |
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フランケン観光局
Tourismusverband Franken e.V.
住 所 | Pretzfelder Straße 15, 90425 Nürnberg |
|---|---|
電 話 | +49 (0) 911 941 51-15 |
U R L |
古城街道協会
Die Burgenstraße e.V.
住 所 | Pretzfelder Straße 15, 90425 Nürnberg |
|---|---|
電 話 | +49 (0) 911 881838-00 |
U R L |
