フランケン地方を巡る旅 ~ 古城と宮殿を求めて その6-2.バイロイト

バイロイトのエルミタージュ
いよいよ最後の町バイロイトです。バイロイトといえば、リヒャルト・ヴァーグナーの町として知られています。
毎年夏に開催されるバイロイト音楽祭はチケット販売と同時に完売するほどの人気です。世界のヴァーグナー愛好家にとってバイロイトは聖地になっています。

旧宮殿の中庭に立つバイエルン王マクシミリアン2世
一方でバイロイトは、ドイツ・古城街道の終着地でもあります。古城街道 Burgenstrasseは、1954年にマンハイムからニュルンベルクまでの約300Kmのルートとして発足しました。
ベルリンの壁崩壊で東欧の壁が無くなったため1994年にニュルンベルクからバンベルク、コーブルク、バイロイトなどを通ってチェコのプラハまで延長され、1000kmに及ぶ大街道になりました。

町の中心リヒャルト・ヴァーグナー通り
2018年にチェコ部分が無くなってバイロイトまでとなり、現在はマンハイムからバイロイトまでのドイツ・古城街道になっています。
辺境伯歌劇場 Markgräfliches Opernhaus
旧市街は鉄道駅の南にあり、駅前通りを南へ歩いて川を渡るともう旧市街です。市民が憩うルイトポルト広場の近くに辺境伯歌劇場があり、バイロイト観光はここから始まります。
歌劇場は1748年にブランデンブルク=バイロイト辺境伯フリードリヒ3世の妻、ヴィルヘルミーネによって建設されました。彼女はプロイセンのフリードリヒ大王の姉です。
19世紀後半に建設されたオペラハウスはどこも外観が華やかですが、それに比べると地味な印象を受けます。

辺境伯歌劇場の正面入り口
ところが劇場の中に入った途端、言葉を失ってしまいました。
こんなに装飾的で美しい歌劇場を、見たことがありません。全体が淡いモスグリーンで統一され、そこにゴールドがふんだんに使われています。

辺境伯歌劇場バルコニー席
舞台は遠近法で奥行きが深く見えますが、実際にこの舞台は奥行きが71.5m、と間口の倍以上の長さがあるのです。これは当時ドイツ語圏で最大のオペラハウスでした。
現在は劇場ではなく、博物館として公開されています。大理石に見える柱は全て色が塗られた木製なので、音響効果は抜群だったそうです。見物客は皆、写真を撮りまくっていました。

この美しさに皆が写真を撮りまくる
バイロイト新宮殿 Neues Schloss Bayreuth
辺境伯歌劇場の向い側には旧宮殿の建物があります。1603年から1753年までブランデンブルク=バイロイト辺境伯が住んでいました。
18世紀半ばに新しい宮殿が完成するとここは役所になりました。新宮殿は歌劇場前のオペラ通りを南へ進んでルートヴィヒ通りに入ると左手に現れます。

新宮殿前の噴水
新宮殿正面の噴水には、オスマントルコの第2次ウィーン包囲で活躍したクリスティアン・エルンスト辺境伯の騎馬像があります。
宮殿本館では辺境伯や夫人が住んでいた豪華な部屋が次々と現れます。鏡で象った断片を天井にあしらった部屋や繊細な日本の間は特別印象的でした。

左:鏡の模様で飾られた天井
右:日本の間
本館を鑑賞したあと南翼へ移ると、そこにはロココ芸術の傑作とされる部屋が続いていました。
金箔を施したヤシの部屋には、クルミ材の壁板の上に天に向かうように金細工が加工されています。バイロイトのファイアンス工房で制作された陶器の部屋では、壁から天井にせり上がる花園の中を天使が遊んでいます。

左:ファイアンス焼の部屋
右:黄金のヤシが天に上る「椰子の間」
1812年5月、フランス軍がバイロイトに侵攻した際にナポレオン・ボナパルトは新宮殿に泊まりました。その時、夜中に白い幽霊が現れたそうです。
それは紛れもなくプラッセンブルクのヴァイセ・フラウでした。クニグンデの霊は、ホーエンツォレルン家のバイロイト新宮殿にもやって来たのです。
新宮殿の裏手には広い庭園が広がっており、その長い並木道はヴァーグナー館の裏庭に繋がっています。

新宮殿の庭園並木道
ハウス・ヴァーンフリート Haus Wahnfried
リヒャルト・ヴァーグナーの家は、ヴァーンフリートと呼ばれています。
Wahnは夢想、Friedは平和です。ヴァーグナーが名付けた“夢想と平和”を併せ持つ館で1874年に完成しました。

ヴァーグナーの家ハウス・ヴァーンフリート
ヴァーグナーは妻のコジマと3人の子供、イゾルデ、エーファ、ジークフリートと共にこの館で暮らしました。
ヴァーグナーは1883年にコジマと共に滞在していたイタリアのヴェネツィアで心臓発作により亡くなりました。遺体は特別列車でバイロイトに運ばれ、盛大な葬儀の後にヴァーンフリート館の裏庭に埋葬されました。

庭の奥にあるヴァーグナー夫妻の墓
コジマはヴァーグナーの死後もこの館に住みましたが、1973年に孫たちによって館はバイロイト市に寄贈されました。ヴァーンフリートは博物館になり、ヴァーグナーが使っていたピアノ、楽劇に関するスケッチや舞台模型などが展示されています。

左:ヴァーグナーが弾いていたピアノ
右:2階の展示室
バイロイト祝祭劇場 Bayreuther Festspielhaus
リヒャルト・ヴァーグナーが建設した劇場は駅の北方向にあり、旧市街とは反対側の丘の上です。
ヴァーグナーは自らの楽劇を演奏するにふさわしい劇場を探していました。バイロイトの辺境伯歌劇場がドイツ語圏で最も大きいことを知り、バイロイトへやって来ます。
しかし辺境伯歌劇場は、自分の作品上演に向いていませんでした。彼はバイエルン国王ルートヴィヒ2世の援助を得て新たな歌劇場の建設に取り掛かり、1876年に完成しました。

祝祭劇場
バイロイト音楽祭の開催期間以外は基本的に演目がないため、ガイドツアーによる案内があります。観客席ホールは小さく感じますが1887席もあるそうです。
インテリアは簡素で椅子も平たい木製。クッションがないのでヴァーグナーの長い演目にお尻が痛くなりそう。最も特徴的なのはオーケストラピットが舞台の下にあり、観客から見えない様にフードで覆われていることです。

オーケストラピットから客席を眺める
観客が舞台のみに集中できるという配慮からですが、指揮者も演奏者も舞台が見えないのでやり難さはあるとのこと。歌手の声がオーケストラとバランスよく聴こえるのは高く評価されています。至る所にヴァーグナーのこだわりを感じる祝祭劇場でした。

左:舞台下で説明を聞く
右:フードで覆われたオーケストラピット
エルミタージュ新宮殿 Neues Schloss Ermitage
バイロイトから約4km東北東に辺境伯ゲオルク・ヴィルヘルムが建設したエルミタージュがあります。
エルミタージュとはフランス語で隠れ家や隠者の住まいを意味し、ゲオルク・ヴィルヘルムは静かな生活をするため、ここに館を建てました。息子のフリードリヒ3世はこの館を妻ヴィルヘルミーネに贈り、彼女はここに広大な庭園を造って新宮殿を建設しました。

エルミタージュ新宮殿
エルミタージュ庭園は49haもの広大な庭園です。ここには花壇や人工水路、自然の林や散策路があり、四季折々の自然を楽しむことができます。
1753年、ヴィルヘルミーネは社交の場としてロココ様式の瀟洒な宮殿を建設しました。それは今日バイロイトのシンボルになっています。

太陽の神殿
中央に太陽の神殿Sonnentempelと呼ばれる円形の建物があり、そこから左右に翼を伸ばして半円形に広がっています。色鮮やかな外壁が特徴で、近づいてみると色のついた石やガラス片がモザイク状に配置されていました。
宮殿の前に池があり、1日に数回噴水が噴き出します。

新宮殿前の噴水
ホテル・ローミューレ Hotel Lohmühle
バイロイトの宿は市内を流れる“赤いマイン川の支流、”小さな赤マイン“の畔にありました。中心部から近く、駅から歩くこともできます。

ホテル・ローミューレ
ここはかつて皮なめし工場でした。可愛らしい木組みの建物はレストランです。すぐ裏を小川が流れ、レストランのテラスは小川に沿って長く続いています。
客室は小ぢんまりとして使いやすく小川の音も聞こえ、まるで田舎のホテルの様に寛げました。

朝食ルームと朝食ビュッフェ
Text und Fotos:Hiromi Okishima(Reisejournalistin)
バイロイトのホテル

ホテル・ローミューレの客室
Hotel Lohmühle
住 所 | Badstraße 35, 95444 Bayreuth |
|---|---|
電 話 | +49(0)921 5306-0 |
Eメール | info@hotel-lohmuehle.de |
U R L |
バイロイト市観光局
Bayreuth Marketing & Tourismus GmbH
住 所 | Opernstraße 22, 95444 Bayreuth |
|---|---|
電 話 | +49 (0) 921 885 88 |
U R L |
フランケン観光局
Tourismusverband Franken e.V.
住 所 | Pretzfelder Straße 15, 90425 Nürnberg |
|---|---|
電 話 | +49 (0) 911 941 51-15 |
U R L |
古城街道協会
Die Burgenstraße e.V.
住 所 | Pretzfelder Straße 15, 90425 Nürnberg |
|---|---|
電 話 | +49 (0) 911 881838-00 |
U R L |
