トルコのアナトリアで2,000年前の「日時計」が発見
シムシェッキ教授によると、日時計が最初にエジプトに現れたのは、ファラオ・トトメス3世(紀元前1504~1450年)の時代と推定され、アレキサンダー大王がバビロンを征服した後、紀元前331年に西洋に持ち込まれた。バビロニアの天文学者ベロッソスが、内周面に目盛りのある球形の日時計を発明したと言われている。
ラオディケアで発見された日時計はこれで3本目。過去に見つかった日時計のひとつは部品が欠損、もうひとつは無傷であるものの、1年を通して太陽の位置を基準とした時間の区切りを碑文で表現された今回発見されたような日時計は初めてのことで、世界的にも希少性の高い標本の一つとなった。
古代都市ラオディケア
「リュクス川の上のラオディケア」と呼ばれる古代都市ラオディケア。リュクス川の南側に位置するこの古代都市は、紀元前261年から263年にアンティオコス2世テオスが築いた都市で、妻の名前「ラオディケ」にちなんでこの名を冠したとされている。
ラオディケアを重要視したローマ人は、キビリア(ギュルヒサル=ホルズム)コンウェンツス(ローマの属州に設けられた審問延)の第一都市に位置づけ、皇帝カラカラの治世時代、高品質のコイン類はラオディケアで鋳造されていた。
小アジアにある重要な教会(『ヨハネの黙示録』と言われている7教会)のひとつを擁したラオディケアはまた、キリスト教におけるこの地の重要性を証明している。
古代都市ラオディケアへは、ユネスコの世界文化遺産と自然遺産に登録されている「パムッカレの石灰棚」から車で約25分、古代都市「ヒエラポリス」から車で約20分でアクセスできる。
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