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はてなブックマーク - ハンザ都市リガの歴史地区を歩く
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バルト海に面するラトビア、エストニア、フィンランドは、3ヶ国における「田園ツーリズム」を促進するため、2017年に共に手を携え「CAITOプロジェクト」を発足。定番の観光ルートを離れ、本当のカントリーサイドでのルーラル体験を提案するとともに、集中しがちな都市観光とのバランスを促している。


バルト三国最大の世界遺産都市リガ


開港したばかりのイスタンブール新空港で乗り継ぎ、昼前に降り立ったのはバルト三国の中央に位置するラトビアの首都リガ。古くから交易の要所として栄え、今なお「ハンザ同盟都市」としての面影が色濃く残る、バルト三国最大の世界遺産都市である。


12世紀から13世紀にかけては十字軍、13世紀にはドイツ騎士団、その後もリトアニアとポーランド、スウェーデンと続き、さらにはロシアによる侵攻や支配といった具合に、その長い歴史の中でこの国は常に大国に翻弄されてきた。



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ハンザが薫るリガ旧市街の街並み



1941年から1945年まではナチス・ドイツに占領され、1940年には独ソの密約により旧ソビエト連邦の領土に。再び独立を回復するまで、ソビエト連邦を構成する社会主義国家の一つとなっていたことは、ある一定層の記憶にはまだ新しい。

空港で迎えの車に乗り込み、リガ中央駅近くのホテルへと向かう。その目に映るのは、ムキシツな色をした四角い建物や幅の広い道路、スターリン様式の建造物にテレビ塔・・・ その景色は、同じ時代に社会主義体制が敷かれていた旧東ドイツや、同じくスウェーデンの影響を受けたポーランドの首都ワルシャワを彷彿とさせる。



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ソ連時代に建てられたスターリン様式の建造物「ラトビア科学アカデミー」



今にも雨粒が落ちて来そうなぶ厚い雲が、居眠り状態にあった旅の記憶を呼び覚まし、より鮮明に思い出させようと記憶の糸を紡ぎはじめる。

無言のまま眼だけキョロキョロさせながら、さして遠くない時代にこの国で起きたことに想いを馳せる。ラトビアの人々が、独自の伝統的な文化である「歌と踊り」で平和革命を成し遂げ、ソ連からの独立回復を宣言したのは、わずか30年ほど前。1990年5月のことだった。



最初の独立宣言から100周年を迎えたラトビア

大国に翻弄され続けてきたラトビアが、最初に独立を宣言したのは1918年の11月。2018年はその独立宣言からちょうど100周年にあたり、リガ歴史地区にあるラトビア放送(ラジオ)の窓にも国旗と「100」の文字が躍る。そして、2020年は独立を勝ち得てから100周年、さらに独立の回復から30年となる。

そうした記念すべき年が続くラトビアでは、2018年から2021年をそれぞれ「建国の年」「勇気の年」「自由の年」、そして「発展の年」と位置づけ、国内各地で様々な祝賀イベントを実施している。そこに華を添えたのが、2018年が開催年にあたった5年に一度の「歌と踊りの祭典」(ユネスコ無形文化遺産)であった。



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ラジオ局のビルにも独立100周年を祝うロゴが

 

持続可能性を意味する「サステナビリティ」という言葉は、「将来的にもその機能を失うことのない、継続可能なシステムやプロセス」を指す。ニュースなどでは近年、主に地球環境や社会を取り巻く課題問題などを取り上げる際によく使われているが、観光の分野においては過去から未来へとつながる「歴史」や「伝統文化」もその一つである。

EUの協力を得てラトビア、エストニア、フィンランドの3ヶ国が共同で主導する「CAITOプロジェクト」では、都市観光とカントリーサイドでの「ルーラル体験」のバランスを促しているが、後者の「Rural」に対比する言葉が「Urban」。古代からの歴史と、その中で育まれてきた豊かなラトビア文化は、首都リガの旧市街でも見られることから、ラトビアはバランスの良い「持続可能なツーリズム」にも理想的な旅のデスティネーションと言える。




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