夢の登山鉄道「ユングフラウ鉄道」誕生!
夢を現実にした男、アドルフ・グイヤー・ツェラー
アルプス登山が黄金期を迎えた19世紀後半、世間をあっと驚かせるアイデアと野望を抱いた男が現れた。チューリヒ出身の実業家、アドルフ・グイヤー・ツェラー(1839年~1899年)である。
ユングフラウまでを結ぶ登山鉄道は当初、技術的にも予算的にも実現不可能な、まったくの夢物語だと思われていた。実際、その数年前にも、エッフェル塔の設計で有名なモーリス・ケクランや、ロッハー式ラック鉄道の発明で知られるエデュアルト・ロッハーなど、多くの事業家や鉄道技師が計画したものの、着工に至ることはなかった。
だが、この時すでに鉄道分野において強い影響力を持ち、1870年代の不況時に鉄道株で多額の富を手にしていたツェラーは、すぐさまその頭に浮かんだものを書きとめ、そのわずか4ヶ月後に鉄道建設の許可を申請。そして、1894年に連邦議会から建設許可を取得し、それから2年後の1896年に着工した。
2年後の1898年、ツェラーはクライネ・シャイデックとアイガーグレッチャーの区間を開業した後、アイガーグレッチャーから先のトンネル工事に着手した。だが、ツェラーは翌年の1899年に肺炎のため死去。その遺志は引き継がれ、同年、現在廃駅となっているロートシュトックが、さらに1903年のアイガーヴァント駅に続き、1905年にアイスメーア駅が開業。そして、ついに1912年2月21日、ユングフラウヨッホまでのトンネルが貫通した。
ヨーロッパ最高地点(標高3454メートル)となる終着駅のユングフラウヨッホ駅がオープンし、全線が開通したのはスイスの建国記念日にあたる同年の8月1日。ついにこの日、ツェラーの夢が現実のものとなった。当日は多くの観光客がユングフラウヨッホを訪れ、氷原に立って観光を楽んだという。その中には、裾の長いドレスを身にまとった貴婦人たちの姿もあった。
2012年に、開通から100周年を迎えた「ユングフラウ鉄道」。私たちもその恩恵に与り、今では小さな子供から老人まではもちろん、車椅子の利用者であっても欧州最高峰に簡単にアクセスできるようになった。四季を問わず誰もが雄大な名峰の懐奥深くに抱かれ、氷河観光を手軽に楽しませてくれるユングフラウ鉄道は、昔も今もまさに「夢の登山鉄道」と言えるだろう。