ゲーテがナポレオンに謁見したエアフルト
ゲーテとナポレオン ユダヤの財宝が眠る中央ヨーロッパ最古のシナゴーグ
1806年、そんなエアフルトにナポレオン軍が侵攻。ナポレオンは、かつてマインツ大司教が築かせたペータースベルク要塞を軍事拠点とし、1807年の10月にはロシア皇帝アレクサンドル1世と会談。ロシアが圧力をかけスウェーデンを大陸封鎖令に参加させることを確認している。
また、1808年にナポレオンがエアフルトで、王侯会議を開いたの場所がカイザー・ザール(皇帝の広間)。ここは1715年に建造された大学の舞踏会用ホールで、クラーラ・シューマンやリスト、パガニーニが演奏し、シラーの『ドン・カルロス』の初演が行われた場所としても知られている。この優美なホールは現在、イベントなどで使用されている。
ゲーテの熱心な「崇拝者」であったナポレオンは、戦陣にまで『若きヴェルテルの悩み』を持参し、7回も読み返したことを自ら述懐している。ゲーテがそんなナポレオンに招かれ、再びエアフルトを訪れたのは1808年の10月のことであった。
ゲーテがナポレオンとの謁見を果たしたのは、かつてのマインツ選帝侯国代官官邸(現・チューリンゲン州首相官邸)。ナポレオンは、ゲーテにレジオン・ド・ヌール勲章を授けている。この官邸の近くには、ゲーテやシラー、フンボルト兄弟らが集ったサロンがあった16世紀の名門貴族ダッヘレーデン家の邸がある。
1988年に行われた発掘調査で、数千もの硬貨や装飾品、ユダヤの伝統的な結婚指輪などが、ヴォールト天井の地下から発掘されている。これらは「エアフルトの財宝」と呼ばれ、ロンドン、パリ、そしてニューヨークでの展示を経て、現在はこの旧シナゴーグに常設展示されている。
建物は3層構造になっており、1階部分では建物の構造についてを紹介。この建物で一番古い柱が見られる他、どのように増築されていったのかなどの課程が、模型を使って説明されている。そして、2層部分はエアフルトで発掘された財宝を展示。ユダヤの独特な形をした指輪は、透明のショーケースに入れられ、四方からじっくり見られるようになっている。
ベゼルに小さな建物を取りつけたユダヤの結婚指輪が誕生したのは14世紀頃で、ルネッサンス期にはユダヤ人社会で盛んに作られていたそうだ。このデザインとなっている建物は、エルサレムにある神殿を象徴しているという説と、新婚家庭を象徴しているという説があるが、有力とされているのは後者である。この屋根の部分は開閉ができ、中にヘブライ語で祝福の言葉が刻まれている。
最上階はダンスホールとして使用されていたフロアで、現在ここにはヘブライ語で記された聖書など、ユダヤ教に関する貴重な書物が展示されている。すでにご存じの方もいらっしゃるだろうが、ヘブライ語はアラビア語同様、文章で書くときは右から左へと書く。
世界各地にシナゴーグは存在するが、普段なかなか訪問する機会がないことから、説明を受けながら丁寧に観ているとあっという間に時間が過ぎてしまう。11世紀から現代に至るまで、こうして様々な時代の文化とじっくり向かい合える旅は、エアフルトの醍醐味とも言えるだろう。