TOP OF INTERLAKEN 「ハーダー・クルム」
ハーダー・クルムの特別展望台「2つの湖の橋」
グランドキャニオン・スカイウォークをモデルに設計された特別展望台の面積は、およそ57平方メートル。周辺への環境面の配慮から、ウッドデッキが採用された。
ここはまさに、ブリエンツ湖とトゥーン湖を結ぶ「天空の橋」。目の前に広がる3名山の雄姿に目と心を奪われながらも、足はプルプル、おしりはムズムズ。まるで空中散歩をしているかのような、スリリングな展望台でもある。
真正面にアイガー、メンヒ、ユングフラウが顔を出している特別展望台の先端は、障害物に邪魔されることのない絶好の撮影スポットで、少しカメラを下に傾ければ、眼下に広がるインターラーケンの町並み、その両端にある真っ青なブリエンツ湖やエメラルド色をしたトゥーン湖が撮影できる。
眺望を楽しんだ東屋への散策路(Brückwald-Promenaden)を上っていく道すがら、思い浮かべたメロディーを基に作曲されたという、メンデルスゾーンの『狩人の別れ』«原題:Der Jäger Abschied/1840年» 。
そんなメンデルスゾーンの旋律やその時代に思いを馳せながら、今も変わらずそこに雄大に存在し、刻々と変わりゆく夕暮れのベルナーアルプスを眺めてみるのも、これまた乙なものである。
インターラーケンに今も息づく「ハーダーの伝説」
不用意にも「悪意」を持ち、彼女に近づく修道士。恐怖を感じた乙女はその場を立ち去り森の中を逃げるが、追ってきた修道士に追い詰められ、乙女は谷間に身を投げ死んでしまった。
その天罰として修道士は石にされ、永遠にハーダーの岩山の中に閉じ込められることとなった。
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アーレ川の岸辺から見える「人面」らしき岩肌を指さして、地元の人は町に残るそんなハーダーの伝説を語る。
この伝説は今、少し形を変えてインターラーケンに息づいている。それが、毎年1月2日に行われる「ハーダー・ポスチェッテ (Harder Potschete)」というお祭りである。
これは、かつてインターラーケンとウンターゼーンにあった秋田のなまはげのようなお祭りで、お面をかぶった「死」を象徴する10~20代の若者が、年末に(人々に禁欲的な生活を強いた)修道院を訪れ、「冥土土産げ」と称してはパンやワイン、金貨を請い求めたという「ハーダーの伝説」から生まれた風習に因んでいるのだという。
当初は「ポスチェッテ(Potschete)」と呼ばれるお面をかぶったハーダーマン(Hardermannli)たちが広場に集まり、大きな物音を立てて街中を練り歩いて、空気で膨らませた豚の膀胱(Süüblateri)で見物客を叩いたり、脅かしたり、店に入って酒を要求したり、顔にペインティングをした未婚の若者が、家に押し掛け歌っては物乞いをしたりと、何とも物騒なものであったらしいが、1956年になって町を総じた見直しが行われ、今では誰もが楽しめる民族色の濃いお祭りへと生まれ変わっている。
現在のお祭りのハイライトは、ハーダーマンとその妻を筆頭に鼓笛隊やカウベル隊、騎馬隊などが続く、いかにもスイスらしいストリートバレードで、それぞれに工夫をこらしたハーダーマン風の衣装を身につけた子供たちの姿もある。パレード終了後にはコンテストが行われ、一番うまく仮装できた子供が表彰されるそうだ。
また、町にある唯一の木彫り細工店「ウッドペッカー」には、毎年異なるハーダーマンの顔をデザインする権利が与えられていて、露店には4~5センチ程度の大きさのバッジになった「その年の顔」が並ぶ。インターラーケンを訪れたら、旅の記念にでもお一ついかがだろうか。