アドリア・アルペンの旅 ~クロアチアからスロヴェニアへ

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ドブロニク再訪
35年振りにみた「アドリア海の真珠」
 




クロアチアの観光業


目を覚ますと真正面に緑の島が浮かんでいる。

ガラス戸を開けてバルコンに出ると、右手にドブロヴニクのグラートと呼ばれる旧市街の全景が折りからの朝日を一杯に受けている。真下には深い底まで透けて見えそうな紺碧の海、8階からという高さもあって引き込まれそうで足元が思わず震える。寄せては返す波の音が子守歌になって、昨夜はパーティの後の短い時間ではあったがぐっすりと眠れた。

昨夜、(1995年)5月10日のクロアチア・カップ・セーリング・レガッタの打ち上げ式 は午後8時半にスタートしたが、ブーリッチ観光大臣への質問が各国の新聞記者、レース関係者から次々と出され、又これに答える大臣が大熱弁をふるわれ、時間があっという間に過ぎ、夕食会に入ったのは11時を大分過ぎていた。

「いまクロアチアの観光業は、私有化とセルビアとの戦争によって落ち込んだ売上の回復に取り組んでいる。皆さんには是非今回のレガッタで見たアドリア海の海岸の全てを帰国してレポートして欲しい。安全について不安のあるのはクロアチア1国ではなく、今やオクラホマ、フランクフルト、ミラノ、東京と世界中がテロリズムの犠牲となっている。

観光客の数は北のイストリア地方ではもう戦前の水準に戻っている。95年度は15億から20億ドルの観光収入を目指したい。ドブロブニク空港近辺への4月13日(95年)の砲撃については、観光シーズンが初まる時期の嫌がらせ、脅しであり、その危険度はテロと同じレベルと考えて欲しい。対策として海からの交通も考えている」といった趣旨のやりとりであった。

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