アドリア・アルペンの旅 ~クロアチアからスロヴェニアへ
1997年2月15日から一週間のあわただしい日程で、ヴィーンからスロヴェニアを駆け足で訪問しました。
今回の旅の目的は、スロヴェニアで昨年11月の国政選挙に、90議席中の5議席を獲得した、スロヴェニア・シニア民主党(DeSUS)のグロバチニック党首にお会いすることでした。
プレモジェ駐日大使のアレンジのおかげで、グロバチニック党首は勿論のこと、労働・家庭・社会問題省のアントン・ロープ大臣とも親しくお話ししました。
今回のスロヴェニアでのDeSUSの成功は、オランダに続くシニア・パーティ進出の第二弾として、世界的に注目されています。
わが国でも、昨年(1996年)12月のペーター・ドラッカー教授の「日本人が75歳まで働けるシステムを作れれば、日本経済は21世紀でも安泰」という、日本経済新聞とダイヤモンド誌上での発言から、高齢者の年金、雇用問題が注目されるようになりました。
そのお話はまた別の機会に譲るとして、今回のスロヴェニアです。
今年の冬は、欧州では、昨年末からの大雪と川まで凍る寒さのニュースで、厚手のオーバーを着込んで出かけました。ところが17日から4日間の滞在中、毎日さんさんと太陽が輝き、やはりスロヴェニアもアルプスの南に位置し、ゲーテが「君よ知るや、南の国」と歌ったイタリアは地続きで、すぐお隣ということを実感しました。
そこで今日はそのゲーテを始め幾多の旅人が南の国に憧れて歩んだ道をご紹介しましょう。