ショッピングの魅力
私の体験的ショッピング考
これも、ウインドウ・ショッピングの一種かもしれないが、買う買わないは別にして、ただ見るだけでも面白いものに、ジェード・マーケットがある。いわゆる『ヒスイ市』である。
場所は九龍のあのショッピングで有名なネーザンロードを北に行ったところ、地下鉄はジョーダン(佐敦)駅が近い。レクラメーション・ストリート(新填地街)とカンスー・ストリート(甘粛街)がぶつかったところの空き地で毎日、朝十時半頃から午後三時半頃まで開かれている。もっとも露店のため雨天中止である。そこには、ただ、「見るだけ」ということを肝に銘じて行ったほうが無難である。もちろん買ってもよいが、素人には良いジェードを見極めることは、容易ではないからである。
その空き地は結構広い。歩くスペースを残し、大小さまざまの露店がぎっしり並んでいる。殆ど夜店の瀬戸物売りのように、地面の上にかんたんな敷物を引き、所狭しとヒスイの原石や美しく刻みこんだものなどを並べているが、中にはワゴンを利用したもの、自転車の上にちょっとした台を乗せたものなどもある。
露店のスタイルはどうであれ、なんとか高く売りつけようとする人達とできるだけ安く買おうとする人達、その中には商売人もいるのだが、その売り手買い手の真剣なやり取りが、あたり一帯に鋭い殺気立った雰囲気を感じさせる。
とはいっても、我々素人がしゃがみこんで品物を手にとりあれこれ「点検」しても、別に嫌な顔はされない。しかし、こんな調子で露店の一つ一つを丹念に見ていたら、特にその方面に興味のある人なら、2、3時間位はすぐ経ってしまいそうである。
そこには安物、まがい物から高級品まで、それこそピンからキリまで、あらゆる種類のヒスイとかジェード(また、それに類したもの)の製品が並べられていて面白い。値札などはもちろんついていないから、値段は全て交渉次第である。しかし、ここでは先ず広東語しか通じないから、そのつもりで。仕入れにきている土地の商売人などは、人に見えないように、売り手、買い手、双方の手元を何かで覆いながら、指を使って交渉している。そのような取引きを見物するのも面白いが、その場のピーンと張りつめた空気は余人をよせつけないので、少し離れて見物ということになろう。
ヒスイ市で買って得するようなものを見つけるには、相当な目利きが必要である。自信がなければ、ヒスイに強い人に同行を願わねばならない。しかし、それでも絶対安心というわけにはいかないかもしれない。
私自身、次のような面白い経験をしたことがある。香港ではなく、中国での話だが・・・。
西安で、ヒスイを売っている、いわば玄人の店員に、私が持っていたニセ物を本物と思いこませるのに成功した話である。しかし、念のために言っておかねばならないが、私がその店員にニセ物を売りつけた話ではない。本物、ニセ物の判定はちょっと見ただけでは、なかなか容易ではなく、本物だという先入観念があると、玄人でも時に間違えるという話である。話はこうである。
ある時、といっても2年ぐらい前に、東京近郊の小さな骨董屋で、一見しただけではどうしてもヒスイ(それは緑色だが一様に緑一色ではなく、ごく一部分に緑の薄い、小さな細い縞がある)にしか見えない、3センチぐらいの勾玉の形をした石を、たったの1000円で買い求めた。重さ、つめたさ、手触りとも、ヒスイでなくとも「石」であることには間違いない。紐を通すための穴があいているが、その石の中も、その穴を通して見る限り、きれいな緑色である。少し光沢がないかな、とは思えるが、鼻の油(!)を塗って光らせると、誰でもヒスイと信じて疑わない。しかも、高級な部類に属するとうけとられる。
私はそれを小銭入れの財布の紐に通して持ち歩いていたが、「危ないからやめた方がいい」と真剣に忠告してくれた人もいた。それ欲しさに刃物でも向けられたら馬鹿らしい、というのである。
さて、それからしばらくして、私は西安に旅行することになる。もちろん、『ヒスイ』(?)付きの小銭入れを持ってである。西安に、観光客のためのマーケットがあった。端渓の硯もあったが、いくつかは、独特の乳白色の『目』なども、人為的にはめこんだニセ物であった。その他、水墨画も相当のスペースをとって売られていたのを覚えている。
二階の奥まった一角を、きらびやかに飾り立てて、さまざまなヒスイ細工を売っていたが、私が何とはなしにそのヒスイ売り場に足を踏み入れた時、不覚にも暇を持て余していた2、3人の店員たちにつきまとわれる羽目になる。安くするから買え、と執拗にせまる。そこで、私は、ふといたずらを思いつく。
「ヒスイならもう買ってしまったよ!」
といいながら、例の『ヒスイ』を小銭入れごとズボンのポケットから取り出して目の前でふって見せる。彼等の唖然とした顔は今だに忘れない。みな声を飲んで『ヒスイ』を凝視する。
「どうだ、安くするから買わないか?」
と、私は面白がって攻めてみる。見せてくれというので、紐の端はしっかり握ったまま(その『ヒスイ』より一緒にくっついている小銭入れが心配なので)、手にとって触らせる。鼻の油は切れていてやや光沢は失せていたが、皆、そっと指先で触れながら溜息をつている。
私は光沢が弱いのがチョット気になり、「これは非常に古いもので、光沢は少々なくなったが、アンティークとしての価値もある。磨けば、もちろん、前のように光り輝くだろう」と、いいたい放題である。
何時の間にか人も増え5、6人はいたと思うが、誰一人としてそれがヒスイではない、と言いだす者はいなかった。その『ヒスイ』と私の顔を交互に見つめる。声がない。私はその時、誰かがそんなものを身につけていると危ないから止めなさい、と忠告してくれたことを思い出す。
急いでその場を離れる。その時、背中に射るような視線を感じたのはもちろんだが、西安にいる間中、何時も誰かにつけられているような気がして仕方がなかった。たった1000円の石とは夢にも思わず、本物のヒスイ(しかもアンティークとしての付加価値までついた)と思い込んだ者に、殺されないまでも怪我でもさせられたら笑い話にもならないと、少々いたずらが過ぎたことを後悔する。
さて、かなり脇道にそれたが、言いたいことはたった一つ、真贋を見分けることは容易ではない、ということである。事と次第によっては、とんでもないマガイ物が本物としてまかり通るのである。
ヒスイの知識など皆無の私も、ヒスイ市に行くたびに何かしら買っている。一時、ヒスイの魔除けを集めていたからである。高いので極めて希にしか買えないが、チャイニーズアーツ&クラフツ[中芸(香港)有限公司]のそれ専門の売り場にあるような、本物のヒスイで彫刻の精巧なものとか、いかにも年代を経たように見えるものなど、手に入れたくなるようなものはヒスイ市ではなかなかなか出くわさない。目につく所には置いてないのかもしれない。
しかし、それでも、形が珍しいものなどが目にとまると、つい買ってしまう。 ヒスイ(ジェード)といっても緑色とは限らず、白色、黄色、薄紫、褐色など色々あるが、私がヒスイ市で形にひかれて買うものは、みなヒスイではない。その証拠は値段の安さである。形と値段にひかれる、といった方が正しいかもしれない。買う時は、何時も感覚的に高くても、せいぜい3、4千円ぐらいのダメージにしか感じられないのである。
しかし、人に贈呈したり又は売る目的で手に入れるのではなく、その形が気に入って買い求めるのであれば、バカ安の得体の知れないものであっても、それはそれで、人には内緒の、自分だけ満足のコレクションとなる。
目下、中国(香港)の魔除けの日本での効き目を試験中である。例の1000円の『ヒスイ』(?)はその後、小銭入れから外して、非常に高価な魔除けと一緒にして大切にしまっている。西安以後、なんとなく貴重な得難い代物に見えだしたのである。