大野ただしの南イタリア周遊記

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コゼンツァとカタンツァーロ


コゼンツァ
カラーブリア州のこの二つの街を訪れるには、ローマからなら、ナポリ、パオラ経由で入るのが普通である。セリエAレッジーナに移籍した中村俊輔のいるレッジョ・ディ・カラーブリアからも遠くない。
私はターラントから鉄道を利用して、コゼンツァ、カタンツァーロ、クロトーネと廻ってターラントに戻るコースを選んだ。

ターラントからコゼンツァへは、鉄道でIC(イタリア主要都市を結ぶ特急)を利用して3時間40分ほどである。
この街には、410年8月にローマで掠奪破壊の限りを尽した西ゴート族のアラリック王がシシリアへ進軍の途中に亡くなった、との言い伝えがある。

ローマで掠奪した宝物は王の遺体とともに、クラティ川とブゼント川の合流点に埋められたという。ピタゴラスの時代に全盛を誇り、クロトーネによって滅ぼされたシバリスの都もこのクラティ川の川口付近に今なお埋もれているという。
しかし、このアラリック王の宝は今になっても、その行方が分らない。ギッシングはブゼント川の上流ではないか、と書いている。

この二つの流れに囲まれてコゼンツァの旧市街がせり上がって、頂上にはノルマン、スヴェヴォのお城がそびえ立っている。スヴェヴォとはイタリア語でドイツのシュヴァーベン地方を意味し、そこの出身であるホーヘンシュタウヘン家の神聖ローマ皇帝、フリードリッヒ二世を指している。ただ彼の母はシシリア王のノルマン家の娘である。

この街に今なお残る最高の宝物は、このフリードリッヒ二世が1222年のドゥオーモの献堂式に贈ったスタウロテカと呼ばれる宝石で飾られた十字架であろう。この宝物はドゥオーモからさらに街を登ったアッシジの聖者フランシスコ教会の奥深く安置されていた。

カタンツァーロ
コゼンツァの街は高地にあり、高低に富んだ美しい街である。3月25日にカラーブリア鉄道でカタンツァーロへ向かったが、前日の雨が途中の山地では雪になっていたのには驚かされた。

カタンツァーロの街は切り立った断崖の上にあり、その眺望は素晴らしい。地震が多く、そのためか見るべき建物はない。ヴィラ・トリエステという公園からの眺めと公園内の博物館くらいだろうか。この街は9世紀から10世紀にかけてビザンチン、東ローマ帝国によって造られた比較的新しい街である。その後をノルマンが征服したが、そのお城は新しい都市計画で取り壊されたという。手ごろな値段のホテルは見つからなかったが、レストランはまあまあの値段で、ワインも食事も美味しかった。

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