シシリアの旅
シシリアの旅 (その1)
シシリア島観光のベストシーズン
カタニアの駅前広場 |
私の旅は、20003年3月8日、カタニアからはじまりました。シシリア第一の都市パレルモでなく、カタニアを選んだのは、ミラノからの飛行機の便がよかったというだけの理由です。
もう少し深く考えると、カタニアは島の東にあって、イタリア本土に近く、この島の工業地帯の中心にあり、観光面でも、エトナ山の南に位置し、南のシラクサ、北のタオルミナ、メッシーナ、西のエンナ、アグリジェントとバス、鉄道で結ばれています。
シシリア島の観光は、西はパレルモを起点として、さらに西へ時計と反対周りにトラーパニ、マルサーラ、シャッカ、アグリジェントまで、東はチェファル、南はエンナ、アグリジェントまで。そしてもう一つの起点がカタニアです。
シシリア島は、一言で言えば、遺跡の上に人が住んでいるような島です。どこを掘っても遺跡が出てきそうな島です。
この島の歴史はギリシャ人の植民からはじまります。ギリシャとシシリアの関係は、今のヨーロッパとアメリカの関係と相似形だとも言えます。シシリアがギリシャ神話の舞台であることを見ると、その関係はまさに一体だったと言えるかも知れません。
ギリシャ人に続いて、カルタゴ人がやってきます。そしてギリシャ人が舞台から消え、三回のポエニ戦争を経て、ローマの覇権が固まります。
その後、ゲルマン蛮族の侵入ののち、535年に東ローマ帝国領となり、9世紀にはサラセン人の支配下に置かれ、11世紀にノルマン人による王朝がパレルモに文化の花を咲かせます。英国へのノルマンの征服もちょうど同じ時期に当たります。
この頃までシシリアは地中海世界の文化の中心でした。その上、北ヨーロッパとは自分たちの故郷ということで、イタリア本土抜きに、直接繋がっていたのではないでしょうか。「北方ルネサンス」という言葉がありますが、その源は案外シシリア島かも知れません。
それやこれやで私はすっかりこの島に魅せられてしまいました。
キュクプロプスの岩礁 |
私がこれからしばしば引用する和辻哲郎は、1928年2月23日に鉄道でイタリア本土からメッシーナへ渡り、シラクサ、アグリジェント、パレルモと廻って、3月2日夜の汽船でパレルモを発ち翌日朝ナポリ着、午後ローマに帰っています。アーモンドの花が咲き景色は素晴らしいのですが、まだ寒さが残っています。
私は2000年3月8日夜、ミラノ経由カタニアに空路入り、シラクサ、パレルモ、トラーパニ、マルサーラ、アグリジェント、タオルミーナを経て、4月5日カタニアから空路ローマに入りました。アーモンドの花は暖かいアグリジェントではすでに散っていたようです。
マルサーラまでは寒くて暖房の入っているホテルもありました。シラクサでは、カタコンベが3月15日からオープンし、タオルミーナでは、4月1日から開くレストランが目立ちました。シシリアでは「五月から十月まで年の半分は地獄」といわれていますが、どうも最近は冷房の普及もあって、シーズンが夏まで広がっているようです。
一方、ゲーテは1787年4月2日にナポリから船で着き、セジェスタ、セリヌンテ、アグリジェント、エンナ、カタニア、タオルミーナを経て、メッシーナから5月14日船でナポリへ向かいます。
シシリア旅行の快適な季節は和辻哲郎とゲーテがこの島に滞在した2月下旬から5月中旬までがよいのではないでしょうか。
(2001年9月号)