シシリアの旅
シシリアの旅 (その4)
続パレルモ
ヴィラ・ジュリア公園 |
ここから東にローマ通りに沿って州立考古学博物館があります。セリヌンテのギリシャ神殿から運ばれた品々が展示されています。
クアットロ・カンティから東には、港から東南に州立美術館があります。ルネサンス期をはじめとするコレクションですが、特にフレスコ画の「死の勝利」が有名です。
この南にゲーテが絶賛した公園のヴィラ・ジュリアがあります。
「とある公園にはうまのあしがたやアネモネの広い花壇があった。空気は穏やかで暖かく、芳しい香が漂って、風はなまぬるい。それにまるい月が岬の後ろからさし昇って、海面を照らした」
モンテ・ペレグリノの聖ロザリア礼拝堂 |
さて私にとってのヴィラ・ジュリアは、椰子の木々の間にみかんがたわわに実っていましたが、ヨーロッパの他の公園と比べるとそれほど素晴らしいとは思えません。今は波止場からも離れていて、モンテ・ぺレグリノが海の向うに見えるわけではありません。海水浴場も北のモンデッロに移ったようです。
ゲーテは不思議なことに教会建築やモザイクについて何も語りません。もう一つゲーテが熱心に語った場所として、モンテ・ぺレグリノの聖ロザリアの礼拝堂があります。1624年に、この山の洞窟で聖ロザリアの遺骨が発見されました。その遺骨のお陰で街はペストの流行から救われます。その洞窟を訪ねようとしたのですが、運悪くバス道路が工事中でゲーテと同じように徒歩でこの山に登りました。三十分も登ったでしょうか。高い岩壁に寄り添うように礼拝所が建てられ、奥が洞窟になっています。そこに聖女の臥像が安置されていました。この光景をゲーテに語らせましょう。
「彼女はなかば眼を閉じ、頭をたくさんの指輪で飾っている右手へ無造作にのせて、一種恍惚の状態にあるかのごとくに身を横たえていた。私はこの像を十分に観察することはできなかったが、それは特別の魅力をもっているように思われた。
・・・・・・ ・・・それからふたたび祭壇のところに行って、跪いてこの聖女の美しい像をもっとはっきり見ようと努めた。この姿とこの場所との醸し出す快い幻想に、私はまったく身をゆだねた形だった。
・・・この自然のままなる洞窟には清純な気持が漲っていた。カトリック教の、ことにシチリアの礼拝様式の絢爛たる装飾は、ここではまだ自然の素朴さに最も近い状態にある。美しい眠っている婦人像の呼びおこす幻想は、いかに修練をつんだ人の眼にもなお魅力を持っているものである。・・・・・」
引用が長くなりましたが、プロテスタントであったゲーテは、イタリアのカトリック世界を、尊敬するルターと同じように突き放して見ていたのではないでしょうか。
次はゲーテが「時間の無駄だった」と嘆いたヴィラ・パラゴニアです。パレルモから東へ16kmのバゲリアにあり、列車で二十分足らずで簡単に行けます。今ではゲーテの時代に比べると、この屋敷は前庭が削られて、道の両側に並んでいた半獣・半人の怪物は姿を消していますが、塀の上には所狭しと不規則にこの妖怪が並んでいます。
建物の内部も大変です。ゲーテの表現を借りると、「邸宅の外観からすれば、内部はそんなにひどくはなさそうに見えるが、一歩中へはいると親王の無軌道ぶりは、またしても暴威を振うのである。椅子の足は違った長さに挽き切ってあるので、腰を掛けることができず、たまに掛けられそうな椅子があるかと思うと、城番が、ビロードの下に針が隠れているから、と注意する始末である。・・・・」となります。
ゲーテはこの後偶然にもパレルモの大通りでパラゴニア親王を見かけます。「あの方がパラゴニア親王ですよ。時おり町へお出でになって、バルバリーで捕虜になった奴隷のために、身代金を募っておられるのです」という馴染みの店の主人の説明に、ゲーテは叫びます。「あの別荘の馬鹿げた普請に金をかける代わりに、その莫大な金をこの方面に使うべきだった。そうすればどこの君主だって、それ以上の事はやれないだろう」これに対する主人の答えは、「人間というものは皆そんなものですよ。馬鹿げたことには好んで自分の金を出しますが、善いことには他人に金を出させるんです」
聖ロザリア礼拝堂 ゲーテの礼拝記録 |
なおこの寺にしゃれたキオストロがある。これまで見た中では一番大きい。柱でささえたアーチの外側にもモザイックが残っており、また柱にモザイックをはめているのも非常に多い。ローマで見たキオストロは円いアーチであったが、ここのは皆心持ち尖ったアーチである。・・・・」
モザイクで有名な町として、パレルモから列車で東へ約一時間のチェファルーがあります。ノルマン様式のカテドラーレは、後陣中央の円天井のビザンティン様式のモザイクで知られています。
裏山には、ディアナ神殿の遺跡が残り、ここからの町と海の眺めは素晴らしい。
(2002年新春号)