多様性に富むドイツ東部ザクセン州の旅
ザクセン選帝侯領 600周年
マイセン辺境伯フリードリヒ4世がザクセン選帝侯(フリードリヒ1世)となり、「ザクセン王国」が誕生してから600年。18世紀にはアウグスト強王の下、巨大な富を蓄えた都として栄えた州都ドレスデンは、第二次世界大戦での爆撃により、街の85%が破壊された。
戦後、旧ソ連の占領地域となったドレスデンは、旧東ドイツを構成する一都市となり、1950年代に瓦礫の撤去が終わると、市民の願いもむなしく、かつての栄華が薫る美しい街並みからほど遠い、旧ソ連を模した社会主義的な広場や建物が次々に建設された。
そうしたドレスデンにとって大きな転機となったのが、1990年の東西ドイツ統一。これにより旧東ドイツ時代には認められなかった重要な建築物の再建が進み、旧市街広場にある街のシンボル「フラウエン教会」は、世界中から寄付が集められ、10年の歳月を費やしてかつての姿を取り戻した。
東西ドイツの統一から30年以上が経過した今、観光でドレスデンを訪れる人々は、タイムスリップしたかのような、かつての栄華が薫る美しい街並みを楽しんでいる。だが、ドレスデン市民にとって《バロック時代の街並みを取り戻すための復興》は、今なお進行している。
昨年12月には「ドレスデン王宮」の柱廊に描かれた壁画の修復が完了。16世紀半ばにザクセン選帝侯(モーリッツ・フォン・ザクセン)に呼び寄せられ、北イタリアからやって来たトーラ兄弟(ベネディクトとガブリエル)が描いたオリジナルのフレスコ画を、鮮やかに甦えらせた。
ドイツ表現主義運動の発祥の地ドレスデン
ドイツ国民は歴史的景観への思いが強い。だが、その一方で内側(内面)は機能性を備えたモダンな空間を生み出すことに非常に長けている国民でもある。
中でもドレスデンは、ドイツ表現主義運動の原動力ともなったモダン・アートとデザインの先進都市で、1905年には表現主義アーティストのグループ「Die Brücke」を生み出した、その発祥の地でもある。
ゲルトナー氏によると、この春、18世紀に建造されたブロックハウスの中に、エジディオ・マルゾーナの膨大なコレクションを収蔵する「前衛芸術運動(アバンギャルド)のアーカイブ」がオープンするという。
ドレスデンで近年、注目されている新市街(ノイシュタット)の歴史的なアパートや中庭をアート化した「クンストホーフ・パッサージュ」などと組み合わせて訪れてみるのも、新しいドレスデンの楽しみ方となりそうだ。
ザクセン州最大の都市ライプツィヒの魅力を最発見!
ヨーロッパ各国のサッカー代表チームが競うUEFA欧州選手権(以下、EURO 2024)。第17回大会となる2024年大会は、6月から7月にかけてドイツで開催される。この「EURO 2024」は、ドイツ観光局が掲げる観光促進のための、2024年のグローバルなイヤーテーマとなっている。
ザクセン州最大の都市ライプツィヒでは、レッドブル・アレーナ(収容人数:41,122人/出典:RB Leipzig)でオランダ、イタリア、フランス、ポルトガル、チェコ共和国、クロアチアのチームによる熱戦が繰り広げられ、会期中、街は興奮と熱狂に包まれる。
2024年は J.S.バッハがこの街で音楽監督に就任してから300周年にあたる。毎年6月にライプツィヒで開催されている「バッハフェスト」は、世界中からJ.S.バッハを愛する人々が集う、初夏のライプツィヒの風物詩となっている。
その昔、J.S.バッハをはじめとする様々な音楽家が集い華やいだライプツィヒは、世界最古の名門市民オーケストラ「ゲヴァントハウス」の本拠地。日本でも「音楽の街」としてよく知られているが、ザクセン州観光局のゲルトナー氏は「華やかなドレスデンの影に隠れてしまいがちだが、ライプツィヒのギャラリーや博物館にもぜひ注目して欲しい」と話す。
今回ゲルトナー氏が注目すべき博物館として挙げたのが、アウグストゥス広場から東へ向かった先にある「グラッシィ博物館」だ。「楽器」「工芸美術」「文化人類・民族学」の3つのミュージアムで構成されたこの博物館は、街の文化活動の支援を目的に、実業家のフランツ・ドミニク・グラッシィ(1880年没)がライプツィヒ市に寄付した2億マルクを使って建てられた複合博物館である。
巨大な博物館ゆえ、3つのミュージアムを一つ一つ丁寧にじっくり観るとなると1日がかりとなるが、時間があまりないという方は今年5月に150周年を迎える「グラッシ楽器博物館」へ。ここはドイツ最大規模を音楽文化コレクションを誇る楽器博物館で、ライプツィヒ大学の附属博物館となっている。
もう一つゲルトナー氏が紹介したのが、ライプツィヒ中央駅の近くにある「ライプツィヒ造形美術館」。ここは1848年に市民によってオープンした美術館で、ガラス張りのモダンな建物内に中世から現代まで様々な美術作品が展示されている。2024年10月から翌1月にかけては、ここで「レンブラント展」が予定されている。
旧東ドイツに関連した美術作品のコレクションでも知られ、ドイツ統一後も旧東ドイツ時代のスタイルで作品を描く新ライプツィヒ派(ネオ・ラウフ)の作品や、ライプツィヒ出身のマックス・クリンガー(1857-1920)の作品も展示されている。近年、ベルリンなどでもイデオロギーを前面に打ち出した社会主義時代のアートが注目されているが、そうした旧東ドイツ時代の斬新な美術作品を楽しめるギャラリーは多くない。この美術館で過ごす時間は、ライプツィヒならではの体験と言える。また、ライプツィヒのミュージアムでは展示作品だけでなく、イノベーションやドイツ独特の空間美も一緒に楽しんでみたい。
平和への祈りをあらたにするザクセンの旅
「ベルリンの壁崩壊」から「東西ドイツ統一」へ。ライプツィヒのニコライ教会は、そのきっかけとなった「月曜デモ」が始まった場所。その「平和革命」からまもなく35年となる今、世界は再び「平和とは」「自由とは」「民主主義とは」と、各々がその意味を自らに問う時代を迎えている。
「平和革命」は、ライプツィヒ市民の誇り。ライプツィヒでは、2009年から毎年10月9日に歴史的な民主化デモの追憶イベント「光の祭典」を開催し、平和と自由の大切さを未来へとつないでいる。
これはライプツィヒに限ったことではないが、ドイツは過去の歴史問題に関して非常に風通しの良い国。観光でも訪れられる負に関連した施設も多く、望めば誰もが歴史を学べ、そこに潜む「闇」とでさえも、静かに対峙する機会を与えてくれる。
2024年は、「交響曲の巨匠」として知られるロシアの作曲家、ドミートリイ・ショスタコーヴィチの没後50周年にあたる。旧ソ連と旧東ドイツの合作映画『ドレスデンの五日間』の音楽を作曲していたショスタコーヴィチは、ソ連軍によるドレスデンのナチスからの解放の場面を表現するため、1960年にドレスデンを訪れている。
そこで戦争の惨禍を目の当たりにしたショスタコーヴィチは、ドレスデンにほど近いシャンメルン山麓の小さな村ゴーリッシュの温泉で、圧政によって精神的荒廃に追い込まれた自らに重ねた重要な作品《弦楽四重奏曲第8番》を作曲した。
ゴーリッシュではこれを記念し、50周年にあたる2010年から毎年6月に3日間「国際ショスタコーヴィチ・ターゲ」と作曲家の名を冠した音楽祭を開催している。
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の首席指揮者のアンドリス・ネルソンスは、2018年に「国際ショスタコーヴィチ・ターゲ」から年間賞が贈られており、2025年6月にはライプツィヒでも同音楽祭の開催が予定されている。
また、この春にはザクセン王家の狩の城「コルディッツ城」が再オープンする。ここは第二次世界大戦中は捕虜収容所として使われていた城で、ドイツ軍の捕虜収容所の中でも、最も脱走の難しい収容所とされていた場所である。HistoPadと呼ばれるタブレット端末を使い、インタラクティブなバーチャル体験ができるというので、興味のある方は足を運んでみたい。
2025年の欧州文化首都 ケムニッツ
エルツ山地の山麓にある独立市ケムニッツが、ドイツで4番目となる2025年の「欧州文化首都」に選ばれた。
聞き覚えがないという人も多いかも知れないが、鉄道ファンなら「ザクセン鉄道博物館」と聞いて思い出す人がいるかも知れない。
ケムニッツは、第二次世界大戦前から機械産業が盛んだった工業都市で、街にある「ケムニッツ産業博物館」は、ヨーロッパで特に重要な産業遺産をつなぐプロジェクト「ヨーロッパ産業遺産の道」の一つを形成している。
街のシンボルは高さ7メールもある、世界で2番目に大きいカール=マルクスの顔だけの像。社会主義時代は「カール・マルクス・シュタット」と呼ばれていたこの街は、東西ドイツ統一を機にそれ以前のケムニッツという現称に戻された、というエピソードを持つ。
町の中心部にある「ケムニッツ州立考古学博物館(smac)」は今年、開館から10周年を迎える。
ポツダムにある「アインシュタイン塔」を手がけた著名なユダヤ系建築家エーリヒ・メンデルゾーンが設計したショッケンデパートを改装したという館内には、およそ30万年にわたる人類の遺品が展示されている。
旅のデスティネーションとしては、これまで全くと言えるほど注目を浴びることがなかったケムニッツで、この春、ドイツ観光局が旅行商談会「ドイツトラベルマート – Germany Travel Mart™」を開催する。同イベントにはドイツ国内のサプライヤーと、世界各国からのバイヤーやメディアが参加。日本からも複数のメディアが参加を予定しており、取材を行う。どのような情報がもたらされるのか、今後のドイツ観光局や参加媒体から発信される内容に注目したい。
産業をテーマにしたザクセンの旅
日本と同様、自動車、機械、化学といった産業を経済の柱とするドイツには、「産業」をテーマとする旅も楽しめる。
ドイツ全体では、中でもミュンヘンの「BMW博物館」やシュトゥットガルトの「メルセデス・ベンツミュージアム」が良く知られているが、実はザクセン州内にもゲルトナー氏が推す、他では見られない産業関連の新スポットがある。
その一つが、16世紀から高品質のレースを生み出し、ファッション界に衝撃を与えたプラウエンレース。2023年秋、フォクトランド地方の小さな町ラウエンに「紡糸ファクトリー」がオープンした。かつて工場として使われていた建物内に造られたこの資料館では、繊細な機械レース製品がどのように生まれ、産業として発展してきたのかを、美しい展示品とともに垣間見ることができる。
また、エルツ山地の北麓、ムルデ川沿いの町ツヴィッカウには、2024年9月にアウディの前身、戦前の高級車ホルヒが並ぶ「アウグストホルヒ博物館」が開館。時を同じくしてドレスデンには、世界最大のコレクションを誇る「人形劇場博物館」がオープンする。さらに今年700周年を迎える「くるみ割り人形」の故郷ザイフェンでは、ライフェンドレーンというこの地方独特の手法で木工細工を生み出す「匠の技」を目の当たりにしたり、クリスマス玩具のショッピングも楽しめる。
フットケアや高級健康靴でも有名なドイツ。ポーランドと国境を接するゲルリッツ出身の靴職人で、ドイツの神秘主義者のヤーコプ・ベーメが今年9月に没後400周年を、2025年に生誕450周年を迎える。ヤーコプ・ベーメが眠るゲルリッツも、今年から来年にかけて訪れてみたい街である。
歴史あるワイン造りも、ザクセン州の重要な産業の一つ。ドレスデン近郊のラーデボイルにある「ザクセン・ワインミュージアム」は、この春で100周年を迎える。
このラーデボイルをはじめ、春になるとザクセン州の至る所で圧巻の菜の花畑を目にする。人々の目を和ませてくれるこれらの花は、すべてバイオエネルギーの原材料。ドイツは世界をリードする環境先進国だが、その発展の裏には1970年代の工業の発展に伴い大気汚染が進み、ドイツの人々が大切にしてきた森が、酸性雨の影響で失われたという経緯がある。
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ生誕250周年
ザクセン州は今年、「EURO 2024」に加え、ドイツ観光局が掲げるもう一つのイヤーテーマ「カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ生誕250周年」に関連する重要なデスティネーションでもある。
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒは、ドイツのロマン主義を代表する画家。《海辺の僧侶》や《山上の十字架》《雲海の上の旅人》などの代表作で知られ、その作品の多くをドレスデンの「アルベルティヌム」が収蔵している。
生涯の多くをドレスデンで過ごし、トリニティ墓地に眠るカスパー・ダーヴィト・フリードリヒ。2024年8月から2025年1月にかけて、ドレスデン州立アートコレクション(ドレスデン美術館/SKD)で予定されているダブル企画展は、日本の美術ファンにも見逃せない展覧会である。
ドレスデンを起点とするザクセンの旅
太陽が沈み、街に明かりが灯るころ、2025年に再建から40周年を迎えるザクセン州立歌劇場(ゼンパーオーパー)は、深いサファイヤブルーの夜空に包まれ、息を呑むほどの美しさを放つ。このザクセン州を効率よく旅するなら周遊型ではなく、州のほぼ中心部に位置するドレスデンを起点するのがおすすめだ。
華やかな王宮文化からアバンギャルド、社会主義時代のアートに音楽、数百年の歴史を持つ小さな町、機械的な産業からメルヘンチックな木工細工、ヨーロッパ最古の磁気工房での絵付け体験、豊かな自然、歴史あるワイナリーに伝統菓子、そして世界最古のクリスマスマーケットまで、とにかく見どころが尽きないザクセン州。
多様性に富むザクセンは、ドイツの魅力をギュッと凝縮したような州。誰かの旅を模すのではない「オンリーワンの旅」を求めている人には、理想的な旅のデスティネーションであるということを、ぜひ憶えておきたい。