日本支局50周年のドイツ観光局 2024年はオンラインメディアを活用し中間層に向けた関心喚起に注力
日本支局の開設から今年50周年を迎えたドイツ観光局が、先ごろ都内でプレス発表会を実施した。アジア地区統括局長/日本支局長の西山晃氏が登壇し、日本市場の現状と2024年キャンペーンを説明。さらに広報マネージャーの大畑悟氏が、最新のSNSトレンド分析を発表した。
西山氏によると、2024年1月から4月までの「日本人海外出国者数」は、2019年度比で60%と緩やかに上昇。
ドイツ国内の日本人宿泊数も「欧州圏外の主要国よりもかなりスローではあるが、確実に回復している」と説明した。同局では、2024年の日本人のドイツ旅行需要の回復は、ドイツ国内宿泊統計に基づく2019年比で、60~70%と分析している。
この日本市場の回復の遅さは、日独直行便の回復率が70%程度にとどまっていることに加え、ドイツ国内のインフレ、ロシア上空通行禁止に伴う飛行時間の長さ、歴史的な円安が大きく起因しているが、そうした中でも「個人旅行(FIT)」が、最も早い回復を見せているという。
ドイツ観光局では、航空運賃や滞在費の高騰で旅に行く機会が減っていることから、1度の旅の滞在に期間を長めに設定する「Stay Longer」を呼びかけている。そうした効果もあってか今年、2019年は4.04日だった平均滞在日数は4.19日に、2,869ユーロだった平均価格は4,794ユーロに上昇している。
ドイツ観光局は、2023年11月に都立青山公園で開催された「ドイツフェスティバル」の会場で、ドイツ観光に関するアンケート調査を実施。来場者は5万人を数え、うち4.8%から回答が得られた。
この調査では「ドイツで行ってみたい、またお気に入りの町は?」という質問に対し、寄せられた地名はドイツ全土にある170ヶ所以上にものぼり、「日本の旅行消費者意識が大きく変化していること、さらに日本が成熟したマーケットであることを裏付ける結果となった」と、西山氏は胸を張った。
西山氏はまた、日本市場におけるサステナブルなトレンドにも言及。「世界遺産」「城と宮殿」「都市」「田舎巡り」「観光街道」「ミュージアム」「自然の絶景」「食文化」「伝統と風習」「旧東への旅」など、文化的、サステナブルなテーマに人気が集まっていると説明した。
ドイツ観光局では2024年、ターゲットにあわせたマーケティングを展開する。B2Cでは、主に円安や価格高騰などが理由でヨーロッパ旅行に手が出しにくくなった中間層に向けて、オンラインメディアやSNS上でキャンペーンを展開して「中期的な関心喚起」を狙い、高所得層やアクティブリピーター向けには、旅行会社を通じた「短期的な需要喚起」に注力する方針だ。
ドイツ観光局 日本支局開設50周年
旧西ドイツの政府観光局として1948年にフランクフルトで創立したドイツ観光局が、日本支局を開設したのは日本の海外旅行自由化から10年後の1974年のこと。以来、観光局による市場開発の先駆けとして大きな足跡を残し、隣国の政府観光局とも協力しながら、ヨーロッパ全体の観光促進にも貢献してきた。
とはいえ、東京オフィスの開設当時は「ロンドン」「パリ」「ローマ」の3都市が、ヨーロッパ旅行の華として今以上にもてはやされていた時代。マーケティング局長を務めていた坂田史男氏は、『世界的な大都市を持たないドイツは、旅行会社にセールスに行っても相手にしてもらえなかった。どこか硬いイメージがつきまとうドイツに目を向けてもらうためには、《ロン・パリ・ローマ》に対抗する起死回生の策が必要不可欠だった』と振り返る。
そこで坂田氏が着目したのが、ヴュルツブルクからフュッセンまでの約400メートルを結ぶ「ロマンチック街道」。美しい古城や中世の面影が残る小さな町が点在するこの街道を、1976年に集英社の女性誌『non・no』の新春特大号で22ページにわたりカラーで大特集ところ、これが大きな反響を呼び、旅行会社のパッケージツアーに次々と採用された。集客に成功し、ドイツ観光の看板コースとなった。
2000年、街道沿いにある人口1万人ほどの小都市ローテンブルクの日本人宿泊数が10万泊を突破。20万人以上の日本人旅客が、この観光街道を旅した。それから半世紀近く経った現在も「ロマンチック街道」は、ドイツ観光局 日本支局にとっての重要な指標になっている。
日本支局で誕生した「ドイツ・ゲーテ観光」
日本市場において衝撃的ともいえる成功を収めた「ロマンチック街道」。ドイツ観光局はこれを機に、観光街道を軸とする日本でのデスティネーション・マーケティングに踏み切った。ドイツには他にも「メルヘン街道」や「古城街道」など、特定のテーマに基づき史跡や遺蹟などを結んだ観光街道が150以上も存在するが、実はその中に一つだけ日本で産声を上げたものがある。
1989年に「ベルリンの壁」が崩壊し、翌1990年の東西ドイツ再統一を受け、1993年に旧東ドイツ地域が、同局のマーケティング対象に組み込まれた。
その際、東西ドイツをつなぐ初の観光街道として作られたのが、文豪ゲーテゆかりの地を結ぶ「ゲーテ街道」。ルートを考案したのは、1990年10月から24年間にわたりアジア・オーストラリア地区統括局長を務めたペーター・ブルーメンシュテンゲル氏と、前マーケティング局長の坂田氏だった。
ドイツ観光局 日本支局は近年、現地パートナーとの関係をさらに強化。ソーシャルメディア上や、デジタルメディアとのタイアップキャンペーンを展開し、東西8都市のPRに注力している。ドイツ文化の神髄ともいえる都市が名を連ねる「ゲーテ街道」だが、西からより東へと移り変わるヨーロッパ旅行のトレンドも後押し、東西分裂時代を知らない世代にも広く知られるようになった。
日本生まれの「ドイツ・ゲーテ街道」は今、国境を越え、他支局でもプロモーションが行われている。
完璧なまでにデジタル化の波に乗ったドイツ観光局
現在、日本支局を率いる西山晃氏は6代目。同氏は入局から今年で30年、長らくマーケティング・マネージャーとして従事し、現地パートナーとも強い信頼関係を構築。その優れた能力やスキルを遺憾なく発揮してきた。
2017年5月に日本人初のアジア・オースラリア地区統括局長として日本支局を任された。歴代の支局長のような駐在という形ではないが、豊富な経験と強いリーダーシップでチームを導き、常に結果を残してきた。中でも際立っているのが、デジタル化への対応だ。
2016年、ドイツ観光局はパンフレット等の印刷物をすべて廃止し、デジタルマーケティングへと大きく舵を切った。そうした流れも受け、日本支局は2017年春に日本語の公式ツイッター(現・X)を開設。日本支局は現在、「X」と「LINE」のVoomを展開している。
ドイツ観光局 日本支局は、ドイツ政府の目標に沿う将来を見据えた観光の促進に力を入れている。中でも重点項目となっているのがデジタルマーケティング。他国に出遅れる形で始動した「X」の日本語公式アカウントは、2024年6月現在、214,000のフォロワーを抱える。先陣をあっという間に追い抜き、ヨーロッパの在日政府観光局・大使館としては最大のアカウントへと躍り出た。
SNSを管理するのは広報マネージャーの大畑悟氏。徹底的なアカウント解析と市場分析、とりわけ若い女性の心を鷲掴みにする美しさにこだわった画像を選定し、毎日2回だけ投稿している。今年5月までの最新データによると、1投稿あたり平均で1,000の「いいね」が付き、200のリポストがあるという。また、インプレッション数の平均は50,000、エンゲージメント率は2,000と発表した。
2024年1月から5月までの人気ポストTOP3は、1位が「ノイシュヴァンシュタイン城の世界遺産登録申請」、2位が「ドレスデンの世界一美しい牛乳屋さん」、次いで「東フリースラント地方の紅茶文化」だったという。成功要因は、1が有力ニュースの重要性、2は宮殿のような店と名物ケーキの組み合わせ、3が意外性(希少情報)だったと大畑氏は分析している。
6月下旬からはYouTubeとTiktok上で「ドイツの世界遺産」を紹介する広告動画の配信をスタートした。2024年は、オンラインマーケティングの要となるキラー画像の掘り起こしに加え、協賛企業や予約サイトとの連携を強化、旅の予約につながるコンテンツの配信増加に注力するという。
開設から50周年を迎えたドイツ観光局 日本支局。次の50年に向けた、今後の活動からも目が離せなさそうだ。
ドイツ観光局日本支局 50年のあゆみ
年 | 世界/日・独の主な出来事 | ドイツ観光局の主な動き |
1945年 |
第二次世界大戦 終結 |
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1948年 |
西独の政府観光局として創立(フランクフルト) |
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1949年 |
[独]西部の占領地帯で憲法の制定 [独]ドイツ連邦共和国の建国 [独]ドイツの区分開始 |
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1950~60年代 |
[日独]西独・日本ともに高度経済成⾧を迎える |
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1964年 |
[日]東京五輪 [日]海外旅行自由化 |
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1972年 |
[独]ミュンヘン五輪 |
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1974年 |
東京に代表部(日本支局)を開設 |
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1976年 |
女性誌『non-no』にて「ドイツ・ロマンチック街道」を大特集 観光街道を軸にしたデスティネーション・マーケティング開始 |
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1975~80年代 |
「ロマンチック街道」が旅行会社の欧州行パッケージツアーに次々と採用され、集客に成功 |
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1989年 |
[独]11月9日「ベルリンの壁」崩壊 |
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1990年 |
[独]10月3日「東西ドイツ統一」 |
日本人旅客、宿泊統計で歴代3位の高水準をマーク |
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1992年 |
東西冷戦が終結 日欧直行便が増加(飛行時間が大幅短縮) |
フライブルク(黒い森)が、ドイツ環境首都に選定 「環境先進国ドイツ」への専門視察旅行が促進 |
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1993年 |
旧東部ドイツ地域がマーケティング対象地域に組み込まれる ドイツ旅行展、ドイツの大型イベントテントを導入 ドイツのビール祭りを都心で初開催。 |
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1994年 |
東西ドイツを結ぶ観光街道「ゲーテ街道」が誕生 プロモーションを開始 |
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1995年 |
政府観光局として初めて「ADトレインキャンペーン」を実施 延べ50以上のドイツ系企業とコラボレート (2017年まで毎年実施) |
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1997年 |
「ドイツ・クリスマスマーケット」の戦略的マーケティング開始 |
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2000年 |
「ミレニアム」による旅行ブーム |
「ハノーバー万博」「バッハ没250年」「ロマンチック街道50周年」「ドイツにおける日本年 1999/2000年」効果で日本人旅客宿泊数が過去最高を記録 ローテンブルクの日本人宿泊数が10万泊を突破 20万人以上の日本人旅客が「ロマンチック街道」を旅行 |
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2001年 |
[米]同時多発テロ(9.11) 世界的に航空機を利用する旅行需要が激減 |
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2005年 |
[日]日本におけるドイツ年(2005/2006) |
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2006年 |
[独]FIFA ワールドカップ |
日本人旅客によるドイツ宿泊数歴代2番目の高水準に |
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2009年 |
リーマンショック |
世界的な旅行需要の激減 日本からの旅客数は一時、1980年代半ばの水準まで低下 |
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2011年 |
[日]東日本大震災・福島原発事故 [独]いち早く「原発撤廃」を表明 |
ドイツへの旅行需要が大幅に増加 リーマンショックによる落ち込みからも完全回復 |
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2017年 |
グローバル戦略の柱であるデジタルマーケティングの強化 日本で「X」を使ったSNSマーケティングを開始 在日欧州大使館、政府観光局の中で最大のアカウントに成長(2024年現在:フォロワー数214,500人) |
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2019年 |
「LINE」のアカウントを開設し、最新のAI技術「Chatbot」などを導入 「クリスマスマーケットの国」のイメージが定着し、12月の欧州旅行の定番商品に 日本人旅客の宿泊数は12月単月の比較において過去最高を記録 |
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2020年 |
新型コロナ感染症パンデミック 国境を越える旅行は完全停止 |
非常事態宣言の発令とともに在宅勤務へ切り替え 「StayHome Travel Later」をモットーに、SNSを中心としたデジタルマーケティングを強化(2020~2021) パンデミック終焉後も、在宅と出勤によるハイブリットなオフィス運営に移行 |
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2023年 |
[日]5月 コロナ禍に伴う出入国規制が撤廃 |
日本人の海外旅行が正常化 ドイツへの渡航者数が52%まで回復 |
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2024年 |
[独]ベルリンの壁崩壊35周年 [日独]東京・ベルリン友好都市30周年 |
日本支局 開局50周年を迎える |