大野ただしの南イタリア周遊記
パエストゥム(ギリシャ人のポセイドニア)
パエストゥムの遺跡(ケレス神殿) |
その中で、サレルノから50キロほど南にあるパエストゥムの神殿群はその保存状態のよさで、シシリアの神殿と肩を並べるものである。
ギッシングは先に紹介したメタポントのヘラ神殿跡に立ったときに、次のように記している。
「ここにたたずんでいると、私の心の中に、何年も前パエストゥムの神殿で感じた深い感動に似たものが湧いて来た。もちろん、この周囲を閉ざされた建築物の断片は、パエストゥムの比類なき壮麗とは比較すべくもないのであるが、ここでもまた、パエストゥムと同じように、記憶に残らぬ古い昔の荒廃で、人の心が悲しくなる。声を出しても破る力さえない沈黙の中で、自然の永遠の活力が、忘れられた人間の偉大さを圧倒しているのだ」
ゲーテもここをナポリから二度も訪れている。
1787年3月23日、シシリアへの出発直前にこの地を訪れて、
「・・・建物の中を歩きまわった。第一印象としてはただ驚くばかりであった。私は全く異なる世界にわが身を置いた。なぜならば何百年もの歳月は厳粛を変じて快適となすごとくに、人間をも変化させるからである。むしろ人間をそんな風に造りなおすのだ。ところでわれわれの眼とこの眼を通じての内的生活全体とは、この建物より繊細な建築に慣らされ、はっきりと概念が定まっているので、この鈍い円錐形をした窮屈に押し合っている柱は、われわれには煩わしくむしろ恐ろしくさえ思われるのである。・・・・・」
パエストゥムの遺跡(市民会議場跡) |
「・・・まん中の殿堂も私の意見では、シチリアで見られるどれよりもすぐれている」
これが、ゲーテのパエストゥムに対する評価である。
「まん中の殿堂」とは、広い敷地の北端にケレス神殿、南端に北からネプチューンとバジリカと呼ばれる二つの神殿が並んでいる、そのまん中にあたるネプチューン神殿のことである。この神殿は今改修工事中であるが、保存状態は一番よい。ただ「どれよりもすぐれている」という言葉は褒めすぎのような気もする。
ぼくがここを訪れたのは4月3日で、復活祭直後ということもあって、観光客で一杯だった。観光客をほとんど見かけなかった長靴の底とは対照的な風景であった。
パエストゥムへはサレルノからおよそ一時間毎にバスが出ている。ナポリからも日帰りは難しくない。ただ直行便の数は少ないので、事前のチェックが望ましい。
パエストゥムの遺跡(神殿跡の風景) |
「きらきらと輝く太陽の下で、この遺跡を見られたら」と残念な気もするが、こんな素晴らしい遺跡が残されたのは奇跡に近いとの思いにかられる。
前日訪れたサレルノの大聖堂にはこの遺跡から材料が運ばれた、と言われている。それはノルマン王朝の仕業なのだが、その評価は難しい。
ギボンを読んでいると、古代ローマ社会に引導を渡したノルマン王朝が、何か胡散臭いものとして描かれているような気がしてならない。ローマの正統の後継者をもって任ずるビザンティンとも、イスラムのサラセン朝とも、等距離を保ってシシリアと南イタリアに見事な文化を開花させたこの王朝は、もっと評価されてもよいのではなかろうか。
私は、フリードリッヒ二世を最初のルネッサンス的な君主と評価した、ブルックハルトに賛意を表したい。