大野ただしの南イタリア周遊記

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バルレッタとその近郊


巨人像とサン・セポルクロ聖堂
「マグナ・グラエキア」というテーマについては、いささか期待はずれだったが、そこは懐の深いこの地方とあって、実に楽しい旅を楽しめた。

今回の旅程を簡単にのべると、3月13日に成田からフランクフルト経由でローマに入り、翌朝早くアドリア海側のバルレッタに直行した。ナポリ、サレルノというティレ二ア海側のコースを取らなかった理由は、アドリア海側は物価が安いだろうと考えたからである。この判断は正しかった。

ここで二泊後、ブリンディシへ、更にレッチェから半島の最東端のマリーナ・ディ・レウカへ。ここは物価も安く基地にしたかったが、まだシーズン・オフで交通の便がわるく、レッチェに戻って、ガリポリとオートラントを訪ねた。

21日にイオニア海に面したターラントに出て、ここを基点に長靴の底にあたる地方を歩くことにした。アルベルベッロに日帰りしてから、カラブリア州のコゼンツァ、カタンツアーロ、クロトーネと一回りして28日にターラントへ戻った。

この地でこの日からはじまった復活祭の聖体行列を楽しみながら、暇を見つけてメタポント、バーリを訪ねた。
復活祭の終わった4月2日に、バスでサレルノへ出て、パエストゥムの神殿を訪れ、ナポリは素通りして、ローマに一泊後5日に飛び立った。以上が今回の旅の概略である。

トラーニの町
最初に訪れたバルレッタの町とその近郊は私の期待を裏切らなかった。
この町は12世紀から13世紀にかけて十字軍の出発港であり、ゆかりの品々が多い。コロッソは4.5メートルを超す巨人像で、ビザンティンから運ばれてきた。この像の後ろのサン・セポルクロ聖堂には、聖十字架の一片を納める聖遺物箱があって、引出しを開くと照明に宝石を散りばめた十字架が照らし出される。ドゥオモは12~14世紀の建築でプーリア様式だが、ブルゴーニュ様式の影響がその内陣に著しいと言われている。十字軍の影響が色濃く残る町といえよう。

バルレッタの南西23キロのカノーサ・ディ・プーリアには、11世紀のロマネスク様式の大聖堂があり、入って右奥の外にボエモンド一世の墓がある。ロベルト・グイスカルドの息子で、父と共に東ローマ帝国に攻め込んだ。またその後、第一次十字軍に参加して勇名をはせた人物である。

カステル・デル・モンテはバルレッタの南東29キロにあり、フリードリッヒ二世の建てた八角形をベースとしたお城は世界遺産となっている。
バルレッタの東にあるトラーニは美しい港町である。大聖堂は11世紀から12世紀にかけて建てられ、イルカに乗ってギリシャからやってきた巡礼者聖ニコラを祀っている。隣接するお城はバルレッタと同様にフリードリッヒ二世によって建てられた。ノルマン・スヴェヴォ王朝の影響をどこでも感じる土地柄である。それ以後大した建物は残されていない。こんなところにも南イタリアの問題点が凝縮されている。


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