大野ただしの南イタリア周遊記
ターラントとその周辺
ターラントの復活祭の行列 |
鉄道の駅からほぼ南に向かって橋を渡ると旧市街が東南に走っている。旧市街は寂れてはいるが、ドゥオモや国立考古学博物館の一部を展示しているパラッツォ・パンタレオがある。11世紀の創建といわれるドゥオモは、時代とともに改装されている。正面の主祭壇の上にはビザンティン風のキューポラがあり、壁面にはロマネスク時代からのフレスコ画が残り、床にはオートラントの教会にあったモザイク画が残っている。
右手奥には、街の守護神であるサン・カタルドを祭った豪華なバロック風の祭壇が置かれている。この聖人は7世紀末の人で、アイルランドの人だという。毎年5月20日には盛大なお祭が催される。
旧市街の東南端には、15世紀末にアラゴン家によって建てられたカステッロがあり、今も軍事施設として使われている。このお城の前の広場に面してドリア神殿の二本の柱が残っている。ここからジレヴォレ橋を渡ると、整然とした新市街が拡がっている。旧、新市街ともに北はマーレ・ピッコロ、南はマーレ・グランデという二つの海に挟まれて、少し歩けばどこからでも海が見える。ことに新市街のマーレ・グランデに沿った「ルンゴマーレ・ヴィットリオ・エマヌエーレ・テルツォ」と呼ばれる海辺の散歩道は素晴らしい。
ターラントのもう一つの特徴は、付近を訪問する基地として交通の便がよいことだ。
アルベルベッロには、私鉄Sud-est線をマルティーナ・フランカで乗り換えて、およそ1時間半弱で着く。とんがり屋根のトゥルッリで有名なこの町には、3月22日というシーズン・オフにも拘わらず日本人も含めた観光バスの客で賑わっていた。一方、電車で降りたのは私一人だった。土産物屋が軒を並べ、日本的な観光地といえようか。言葉を変えていえば、「マグナ・グラエキア」のかけらもない町である。ギッシングなら歯牙にもかけないだろう。
メタポントへも30分位で行ける。ここには「パラディーニの円卓」と呼ばれるヘラ神殿の廃墟が残されている。円柱が二列並んでいて、片側に十の柱、もう一方には五つの柱が残っている。この柱に悪魔が腰掛けるとの伝説が、この神殿を付近の住民のさらなる破壊から守ったらしい。この神殿は町から遠く離れハイウエーにそっていて、バスの車窓からわずかに眺めることができた。
他に考古学公園と博物館がある。公園には、幾つも神殿や劇場の跡が発掘されているが、目立った遺跡はない。博物館は、ターラントの建物が修理中なので、この付近ではもっとも充実した展示だった。
バリ |
バリへも私はここから日帰りの旅をした。ターラントから2時間10分、片道6.20ユーロだ。サンタ・クローズの遺体を祀るサン・ニコラ教会は1105年に完成したプーリア・ロマネスク様式の代表的な建築である。もう一つ11世紀前半に建てられたカテドラーレがある。これもプーリア・ロマネスク様式でファサードのバラ窓が残されている。カテドラーレは岬の西側の11世紀にノルマンによって築かれたカステッロに隣接し、サン・ニコラは岬の東側にある。その距離は旧市街を通れば5分ほどだが、町の人からは旧市街を歩くなら、「バッグに気をつけろ」と注意された。
バリの鉄道駅は町の南にあり、新市街を北に進むと、岬の先端部が旧市街になっている。観光客向けか旧市街のレストランは割高だが、新市街には安くて美味しいレストランもある。