多忙を極めたライプツィヒ時代のバッハ

2014年07月09日 掲載

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ニコライ教会のバッハ像

ニコライ教会のバッハ像(ライプツィヒ)



昨日アップしたドイツ・ゲーテ街道特集「音楽の街、ライプツィヒ」は、お楽しみ頂けてますでしょうか?
その中でライプツィヒで27年に渡って市の音楽監督を務め、ここで数多くの作品を作曲したJ.S.バッハのお話をさせて頂いていますが、この時代の音楽家たちは、教会や貴族に仕える職業の一つとして生活が保証されていた一方、必要に迫られて作曲をするのが一般的で、バッハも多忙を極めていたようです。

バッハを知る友人の話によると、1週間のスケジュールは・・・

月・火曜に「作曲」をし、水・木曜に「楽譜作成」、そして金・土曜で「練習」して、日曜日に本番!

つまり、毎週ほとんど休まずに、自作のカンタータを提出していたことになります。

バッハはライプツィヒでカントルという地位も手にしましたが、バッハが旧友に宛てた手紙によると、カントルの仕事は思っていたよりも経済状態がよくなく、また当局との対立などもあり、あまり愉快なものではなかったようです。 

そう言えば、1714年にバッハがワイマール宮廷楽団の楽師長に任命された時にも、月1曲のカンタータの作曲と演奏の責務が課せられていて、バッハは4年がかりで1年分のカンタータ集を作ることを考えていたとう逸話も残されています。

生涯に1,000を超える作品を残したJ.S.バッハ。「天才」という一言で片付けてはいけないのでしょうが、65年の人生で1,000を超えというのは超人的な数。しかも名曲揃いですから、その功績に相応しい賞賛の言葉はそう簡単には見つかりませんよね。(取材協力:ドイツ観光局/レイルヨーロッパ・ジャパン/ライプツィヒ観光局)


(写真はイメージです)

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