香港ワンダー・コラム
さて、次に、視点を変え、現在の香港の繁栄はどこからきたか、を考えてみる。
私は、この繁栄は香港政庁の経済政策とか有能な役人の細かい指導でもたらされたものだとは思はない。
香港の現在の繁栄は、商業、貿易、金融など、あらゆる経済活動に携わっていた人達の一人ひとりが、「香港」のためではなく、単純に自分自身の利益のために、何者にも拘束されずに自由に頑張ってきた結果だと思っている。いいかえれば、返還後、市場経済の舞台での一人ひとりの自由な活動が認められる限り、香港人の旺盛な活力も維持され、経済も民主的に繁栄する筈である。
しかし、万一、中国当局が自らの主体性を内外に示すため、直接、間接に香港の重要な経済活動に介入し始めたり、あるいは当然のように親中派経済人を優遇したり、民主派同調者を差別したりし始めると事は重大である。やがて経済活動に不条理な規制が始まり、許認可をめぐる賄賂合戦が日常茶飯事となり、ピンはねが横行し繁栄どころではなくなる。
ただでさえ言論、集会の規制、民主化運動の抑圧で萎縮し始めている香港人、特に経済人は、やる気を失い、自暴自棄となり、香港に見切りをつける人達もでてくるかも知れない。
そうなると、香港経済の将来には真っ黒な暗雲がただよい始める。
返還後の香港経済の繁栄の維持と、さらなる発展のため初代行政長官はどんな対応をするかは世界中の経済人が注目しているところである。
初代行政長官としては、新しい主権者である中国との協調を最優先させようとするのは当然である。しかし、協調は万事言いなりの盲従であってはならない。
主権者中国に盲従することは容易である。しかし、必ず香港人の不信と反発を招き、香港を経済的にも、政治的にも好ましくない不安定な方向に押しやることにもなりかねないのである。
香港の経済的な繁栄は中国にも大きな利益をもたらすもので、中国自身も望んでやまないものである筈である。
初代行政長官は常に香港の繁栄を考え、香港人の利益、ひいては中国の利益に反することに対しては敢然と「ノー」といえる行政長官であって欲しい。民主派にも理解を示し、法の下に平等に取扱ってもらいたいのである。
董建華長官は1937年に上海で生まれた。中国革命で1949年に家族と共に香港に逃れ香港で育つ。英国のリバプール大学卒。東方海外海運会社の2代目オーナーだったが返還後の初代行政長官選に出馬するため会長職を辞任した。
董長官は各方面に幅広い人脈をもっているが、特に中国の港事顧問をしていた関係で中国との人脈が太いことで知られている。台湾とのパイプも太く、将来を考える時、中国にとっては極めて重要な人材である。
董長官の性格は極めて温厚で誠実。人望もあり、香港での現在までの人気は極めて上々。しかし、余りにも温厚で誠実な人であるため、中国に対し何処まで押しが利かせられるか、と心配する向きもある。いずれにしても、お次の番として控えるマカオ、特に『台湾』が中国の出方や彼の手腕に真剣に注目していくことは間違いない。