香港ワンダー・コラム
香港に来て九竜のネーザン・ロードに1歩も足を踏みいれないまま日本に帰ってしまう人は先ずいないだろう。
もっともスター・フェリーの乗り場やペニンスラ・ホテルのある南の端のソールズベリー・ロードから北の端のバウンドリー・ストリートまで約4キロ近くを歩く人はいないかも知れないが、最も賑やかな『ゴールデン・マイル』と呼ばれているチムシャツイからジョーダン辺りまでは誰でも歩いている筈である。
ここにはピンからキリまでの土産物屋から、大小様々の商店、貴金属店、有名一流品店、商場、レストラン、ホテル、銀行、両替商、ナイトクラブなどが連なり、狭い路地にまで安物の旅行カバンや誰が描いたのか派手な色彩の夜景の油絵や山水花鳥の墨絵などがぶら下っている。
歩道で擦れ合う忙しげな人の流れと車の喧騒は昼も夜もネーザン・ロード一杯に活気をたぎらせる。観光客は先ずここで香港に来た実感を味わうのである。このネーザン・ロードも、ジョーダンから北へ、ヤウマテイ、モンコックなどに歩を進めると、やがて庶民の街に変り、歩道を歩く観光客の姿も減り、香港の土地の人々が道にあふれ始める。
このネーザン・ロードは13代香港総督のM・ネーザン卿にちなんで名付けられたのだが、今世紀の初め、ネーザン卿のオフィスがここにあった頃、九竜を南北に走るこの道路の将来的な発展はある程度予測はできたものの、誰も現在のような繁華街になるとは夢にも思わなかったようである。
ネーザン卿がその当時、現在の道幅を確保することを強く主張した時、人々は「何故そんなにだだっ広い道路が必要なのか」とあざけったという。しかし、今にして思えば、このネーザン・ロードの南にはすぐ近くに九竜と香港島とを結ぶスター・フェリーの波止場があり、ソールズベリー・ロードからちょっとネーザン・ロードに入った辺りには以前からホテルやレストランが沢山あり、チムシャツイ住宅地区にも近いので人々が集まる条件はそろっていたといえる。
後年、ネーザン卿の先見の明が高く評価されたが、彼は天国で『もう少し広くとっておけばよかったかな』といっているかも知れない。同時に、『私が馬鹿にされ、笑われながらも苦労して確保した私のネーザン・ロードなのだ。中国への返還後も、この私とのかかわりだけは忘れないで欲しい』と訴えている彼の声が聞こえる。
返還後は残念ながら『ネーザン・ロード』の名前がそのまま残されることはあるまい。