香港ワンダー・コラム
「1997年の中国返還後も香港は何も変わりません」と香港観光協会はいう。
「基本法により『50年間不変』が保証されていますから、少なくとも50年間は、今までの自由経済体制が維持されます。ショッピングや、中国料理など香港の伝統的観光魅力に変化が起きることはありません。むしろ、観光インフラ整備計画が急ピッチで進められているので、新しい観光魅力も続々と生まれ、21世紀に向かい香港は観光的にさらに大きく飛躍することでしょう」と強調する。
確かにその通りである。英国植民地香港が中華人民共和国香港特別行政区になっても、例えば、通貨が中国に「元」に切り替えられる訳でもなく、今までの香港ドルが使えなくなる訳でもない。資本主義も維持され、今までのフリー・ポート香港はいささかも規制を受けることはないのである。
さらに、香港の出入国管理が中国本土なみになる訳でもなく、日本人の場合、英国植民地時代と同様、1カ月以内の観光目的の滞在であればビザ(査証)は不用となることは間違いない。こう見てくると、香港は返還後も「変わらない」のは確かである。
しかし、一方で、今まで英国人の総督が治めてきた香港は、中国の主権の下で、新しい行政長官によって治められるという厳粛な事実に直面する。この行政長官は間違いなく新中派である。
ここから派生して、香港は返還と同時に中国化し、言論の自由、集会の自由も規制され、いずれ自由経済にも官僚が大きく介入し、大なり小なり変化がでてくるのではないか・・という危惧が生まれる。
こんな誤解が香港観光のブレーキになっては一大事とばかり、香港観光協会は「何も変わらない!」を強調する。
とはいえ、はっきり「変わる」ことがある。
中国は返還と同時に、当然、「中国主権の」行政区としてのメンツが保てる香港に脱皮させようとする。
中国は英国の残滓、つまり、好ましくないと思われる「英国の名残り」を香港からできるだけ早く払拭しようとする。これが香港の雰囲気を変える。
これは、『一国両制』とか『50年不変』以前の問題で、主権を引き継ぐ側にとってはごく当たり前の行動であろう。
香港観光協会は「香港は変わらない」という反面、『香港へ急ごう』というキャンペーンも実施している。
「何も変わらない」のなら『急ぐ』ことはなかろうという人もいたが、英国植民地の香港を今の内に見ておかないと、返還後、英国ゆかりの地名や道路名、その他の名称、それに、例えば、総督府などの歴史的建築物をも含め、数多くの英国の名残りが急速に姿を消すことは確かである。
時と共に英国色は薄れ、万事にわたり中国色が濃くなり、香港をとりまく有形無形の環境は植民地時代とはかなり変わることであろう。特に、香港に行ったことがない人は、今の内に見ておかないと、何がどう変わったのかすら分からないことになる。『香港へ急ごう』という所以である。
香港の眺望も大きく様変わりする。例えば、ランタオ島の北、チェクラップコックにできる新空港は高速空港鉄道と高速道路によってマ・ワン(馬湾)島、チン・イ(青衣)島を経由して九竜と結ばれ、さらに大海底トンネルにより香港島と結ばれる。
特に取り上げたいのは、ランタオ島とチン・イン島の間にかかる青馬大橋という大吊り橋である。
新空港往復の車窓から眺める九竜、ビクトリ・ハーバー、香港島を一望する壮大なパノラマは、逆に、香港島のビクトリア・ピークから島伝いに走る新空港アクセスを眼下に俯瞰する景観と共に、昼といわず、夜といわず、香港の全く新しいシンボリックな絵となろう。
そればかりではない。香港には港湾開発、インフラ整備計画、カイタック旧空港の埋め立てによる新開地の造成などが目白押しである。
その急激な変わりざまは何時香港を訪れても、人々を驚かせ飽きさせないであろう。
21世紀に入る香港には「変わりざま」を自分の目で確かめる楽しみがいっぱいである。