アルプスの帝都インスブルック
ハプスブルク家の財政を支えた町
1964年と1976年の2度にわたる冬季オリンピック開催で有名なインスブルックは、オーストリア西部に位置するチロル州の中心都市である。人口はおよそ13万人。四方をアルプスの山々に囲まれ、北はドイツ、西はスイス、南はイタリアと国境を接している。古くからドイツとイタリアとを結ぶ宿場町として栄えたインスブルックの町には、栄華を極めた中世の面影が今なお息づいている。
政略結婚で次々に領土を獲得し、13世紀から19世紀にかけてヨーロッパと中南米に広大な多民族国家を築き、「太陽の沈まない帝国」と謳われたハプスブルク家は、現在のスイス領を発祥とするドイツ系の貴族である。
イン川の畔に広がる美しい町
その名の由来にもなった「イン川の橋」の袂に広がる町インスブルック。「中世最後の騎士」と讃えられた皇帝マクシミリアン1世が、古くはローマ帝国時代から交通の要所となっていたインスブルックに都を移したのは15世紀末のことだ。
中心部の主な見どころは、1765年にハプスブルクの女帝マリア・テレジアが、息子のレオポルト2世とスペインの王女ルドヴィガとの婚礼を祝して造らせた「凱旋門」から、1420年に「文無し公」と呼ばれたフリードリッヒ4世によって建造された領主の館「ノイホーフ」周辺に集まっている。
そのノイホーフの屋根に2,657枚の金箔を貼り付けた、通称「黄金の小屋根」と呼ばれるロージェを造ったのは、チロルの領主となったマクシミリアン1世。この場所から、広場で行われる馬上槍試合や舞踏会を見物していた。
外側には、ムーア人の舞踊「モレスケンタンツ」をモチーフにしたレリーフが掲げられ、壁にフラスコ画が描かれたこの建物は、後期ゴシック建築の傑作と言われている。現在、内部は博物館となっており、マキシミリアン1世の宝物などを通じて、当時の暮らしぶりや人物像が垣間見られるようになっている。
「黒い男たち」が集まる宮廷教会
この「黄金の小屋根」から徒歩数分、「チロル民俗博物館」の西側に16世紀中頃、フェルデナンド1世の命によりマクシミリアン1世の霊廟として建てられた教会があるというので行ってみた。
博物館とを結ぶ中庭を通り抜け、少し重みのある扉を押し開ける。霊廟というので、当初は薄暗いのかと想像してが、意外にも内部は窓から降りそそぐ柔らかな陽の光に溢れていた。そして、堂内の中央には大きな柵に守られるかのように、24のレリーフが施された美しい棺が収められていた。
棺から視線を少し横にずらすと、教会に足を踏み込み時に全身で感じとった静寂が頭の中で打ち破られる。その両側に皇帝やその妻たちがズラリと並び、まるで彼らの話し声が響いてくるかのようではないか。28体あるこれらの等身大の青銅像は「黒い男たち」と呼ばれ、ドイツ・ルネッサンスの最高傑作と謳われている。
この宮廷教会には、もう一つ大変貴重なものがある。それが「音」の遺産にもなっている、杉材のパイプを使ったルネッサンス様式のオルガンだ。
これは1558年にイョルク・エーベルトが製作したもので、ほぼ無傷で残っているルネッサンス・オルガンとしてはオーストリア最大、かつ世界5大オルガンの一つにも数えられている。オルガンは現役で、定期的に演奏も行われているというので、機会があったらぜひ聴いてみたいものである。
次は「女帝マリア・テレジアが愛した町インスブルック」
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