女帝マリア・テレジアが愛した町
ハプスブルク家の栄華が薫る王宮「ホーフブルク」
2017年は、今なお人々に愛されるハプスブルク家の女帝マリア・テレジアの生誕から300年という節目の年にあたる。そのマリア・テレジアがこよなく愛したインスブルックの最大の見どころと言えば、王宮「ホーフブルク」である。
この王宮は15世紀の半ば、「富裕公」と呼ばれたジークムント大公により後期ゴシック様式で建設されたが、後にマクシミリアン1世やフェルディナンド1世らが拡張。さらに18世紀になってマリア・テレジアの命により改修が進められ、1773年に優美なロココ調の宮殿へと生まれ変わった。
アルプスの山間にある小さな町から想像できないほど見応え十分の王宮だが、とりわけ目を引くのがチロル最大級の天井画が描かれた「巨人の間」。この広間にはマリア・テレジアや、その娘マリー・アントワネットの肖像画もある。
さらに「謁見の間」にあるマリア・テレジアの玉座や、毎日食事をしていたというダイニングルームの他、「白のサロン」にあるロココ調のストーブなどは必見ポイントで、皇妃エリザベート(シシィ)など皇帝一族の肖像画もここで見られる。この王宮はまた、1765年にマリア・テレジアの息子レオポルド2世とスペイン王女ルドウィカの結婚式が行われた場所でもある。
高い市民権を勝ち得たチロルの農民文化
「ヨーロッパの交差点」となったチロルは、あらゆる民族や文化が交わる土地。ハプスブルク家が芸術を擁護し、育んでいたこともあり、ルネッサンスとバロック期にインスブルックは、ヨーロッパでも重要な「音楽の中心地」ともなっていた。先述の「巨人の間」は、現存する初期古典音楽のフェスティバルとしては最古とされる「インスブルック古楽器音楽祭」(毎年8月開催)の会場の一つにもなっている。
人間や動物に限らず、あらゆる生命が深いところでつながり合うチロルでは、早くから農民の文化が高い市民権を獲得していた。それを象徴するのが「巨人の間」の描かれた天井画。農民の暮らしぶりが宮殿の大広間に大きく描かれるなど、当時の常識としてはまずあり得なかった。
その背景には、アルプスの自然を描写したゲーテの『イタリア紀行』や、ルソーの『新エロイーズ』の発表などに見られる自然主義の存在があった。これはまた、後に英国を中心とするヨーロッパの上流階級に巻き起きた、一大アルプスブームのきっかけともなった。
そんなチロルの歴史を語る上で忘れてはならないのが、農民軍を率いてナポレオン軍から3度もチロルを守ったというアンドレアス・ホーファーの存在。ゲリラ戦によってチロルを守ったが、最後は仲間の裏切りというまさかの展開で命を落とした。この農民出身の英雄の墓は、驚くことに「宮廷教会」にあるのだという。
宮廷教会の横には、古くからのそうしたチロルの庶民の暮らしぶりが垣間見られる「チロル民俗博物館」がある。ここにはチロル全域の伝統的な道具や習慣に関するものが集められている他、15世紀から16世紀にかけての家屋が再現されているので、立ち寄ってみてはいかがだろうか。
次は「チロルの美味しい食卓」(近日公開予定)
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