小さな大国、スロヴェニア

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かつてハプスブルク家も所有した丘の上の「リュブリャナ城」 (リュブリャナ)


 大帝国を支えた誇り高き国民


ヨーロッパの中心に位置するスロヴェニアは、オーストリア、イタリア、ハンガリー、クロアチアと国境を接する小さな国だ。
首都はリュブリャナ。日本の四国ほどの面積に、200万人が暮らしている。「カーネーションの国」としても知られている。
スロヴェニア語を公用語としているが、ほとんどの国民がドイツ語やイタリア語、ハンガリー語が話せる。また、第2外国語として英語もよく通じる。こうしたことから、スロヴェニアは「バルカンのスイス」とも呼ばれている。

スロヴェニアは、わずか1世紀の間に4つの大国の支配下に置かれるという激動の歴史を歩んできた。
1335年にリュブリャナはハプスブルク家の支配下となったが、ナポレオン戦争時(1809年~1813年)にはフランス第一帝政イリュリア州の首都となった。また、1918年のオーストリア・ハンガリー帝国崩壊で、リュブリャナはセルビア人・クロアチア人・スロヴェニア人王国(後のユーゴスラビア王国)の一部となり、1941年4月にはイタリアの占領下に。第二次世界大戦後は、ユーゴスラビア連邦人民共和国のスロベニア人民共和国の首都となった。そして1991年6月、ついに旧ユーゴスラビアから独立を果たした。

スロヴェニアは、こうした大国の中でも特にヴェネツィア共和国やハブスブルク帝国の影響を強く受けながら、多様性に富んだ独自の文化を育んできた。と同時に、その豊富な鉱物資源や産業、文化でこうした大国を支えてきた。その一例をあげれば、ウィーンの宮廷パレードに登場するあの白馬、リピツァーナもスロヴェニア原産だ。
こうしたことから、スロヴェニア人は自国の遺産や文化的アイデンティティーを誇りにしている。

一般的には「小国が大国の影響を受ける」と考えがちだが、いつもそうとは限らない。特にスロヴェニアの場合、彼らが周囲に与えた影響も少なくない。いわば縁の下の力持ちだ。
スロヴェニアを旅していると、“もしこの国が無ければ、隣国の大国の文化も案外違うものになっていたかも知れない…”という気さえしてくる。

様々な文化背景を持つスロヴェニア人は、異文化にも理解が深い。また、非常にオープンで親切。自他共に認める負けず嫌いで、少々皮肉り屋な側面も持ち合わせているが悪気は全くない。人との距離感も日本人とよく類似している。
だが、やはり彼らの懸念事項やプライドに触れるような事には、配慮が欠かせない。


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