ヴェネツィアの風薫る港町、ピラン

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激動の歴史を見つめてきたタルティーニ広場



スロヴェニア西部にあるイストラ半島は、アドリア海の奥に位置する三角形の半島。その一角、ピラン半島の先端に位置し、トリエステ湾の一部であるピラン湾に面した小さな港町がピランだ。

この町で生まれたタルティーニの像

ピランという地名は、イストラ沿岸のローマの町ピラノン(Piranon)に由来している。
都市化が始まったのは、ビザンチンの支配となった7世紀のこと。強固な要塞が築かれたが、788年にフランク人に占領されスラヴ人が住み始め、952年には神聖ローマ帝国の一部となった。1283年、ピランはヴェネツィア共和国(現在のヴェネツィアを本拠とした歴史上の海洋国家)の支配下となり、その統治はナポレオンに降伏する1797年まで続いた。そして、その後はオーストリア=ハンガリー帝国の領土になるという複雑な歴史を歩んできた。
中でもヴェネツィア共和国の強い影響を受けたことから、ピランにはヴェネツィアを彷彿とさせる町並みが色濃く残っている。

ピランは18世紀に活躍したイタリアのバロック音楽の作曲家・ヴァイオリニスト、ジュゼッペ・タルティーニの生まれ故郷でもある。町には彼の名を冠した広場があり、立像もある。
この像はヴェネツィアの著名な彫刻家アントニオ・ダル・ゾットが製作したもので、1896年にタルティーニの生誕200周年を記念して建てられた。その向かいにある生家「タルティーニハウス」は現在、タルティーニのバイオリンやポートレイトなど、ゆかりの品々を展示した記念館となっている。この建物は、古い自治体の公邸の一つに数えられている。

華やかな聖ユーリ教会内部

この広場には、ひと際目を引く建造物がもう一つある。それが「ヴェネツィアの館」と呼ばれる建物だ。
スロヴェニアで最も美しいヴェネツィアン・ゴシック建築と謳われるこの建物は、15世紀に裕福なヴェネツィア商人が、この町で恋に落ちた若く美しい女性のために建てた館といわれている。情熱的な赤で塗られた壁と、2階部分にある白いバルコニーが、どことなくロミオとジュリエットの世界を想像させる。現在、1階部分は店舗として営業している。

このヴェネツィアの館の横にある小道からゆるやかに伸びる坂道を上っていくと、町で一番大きな聖ユーリ教会(英名:聖ジョージ教会)のある丘にでる。教会の近くには、フランシスコ会修道院がある。
この聖ユーリ教会は、1334年にルネサンス様式で建てられたが、17世紀になってバロック様式に改築された。外観からは想像できないその独特で華やかな装飾から、当時の繁栄が見て取れる。また、教会にはヴェネツィアのサンマルコ寺院のものと酷似した鐘楼がある。


    

市庁舎に描かれたヴェネツィア共和国のシンボル「有翼のライオン」 / タルティーニハウス / ヴェネツィアの館と鐘楼



この丘からは町はもちろん、イタリアやクロアチアも一望できる。
スロヴェニアが有する海岸線の長さはわずか47キロ。南側はクロアチア、東側はイタリアと国境を接し、クロアチアとは現在も海洋国境問題を抱えている。

丘から陽の光に輝くアドリア海をぼんやりと眺めていたら、イタリア人の親友のお母さんが昔、当時イタリア領だったこの近くのイゾラの生まれと言っていたのを思い出した。もちろん、この地域が昔イタリアの領土だったことは知っていたが、ほとんど歳の差のない、しかも年下の友人のお母さん話だったので、それほどまでに近い過去の出来事だったのかと当時はずいぶん驚いた。

対岸に見える陸地はクロアチア

このピランがあるイストラ半島は、3ヶ国にまたがる歴史的な地域「ヴェネツィア・ジュリア」にある。このエリアは、第一次世界大戦まではオーストリア=ハンガリー帝国の領土であったが、第二次世界大戦後にイタリアと旧ユーゴスラビアによって分割された。

第一次世界大戦後、イタリア領となったピランではスロヴェニア教育が廃止され、イタリア語化が推し進められたが、第二次世界大戦でのイタリアの敗戦により、多民族が暮らすこのエリアの領有問題は国際的な懸案となった。

結局、ヴェネツィア・ジュリアにあるトリエステを含むゾーンAは連合国に属した後、1954年にはイタリアの領土に、旧ユーゴスラビアが管轄していたBゾーンに属したピランはそのまま旧ユーゴスラビアの領土となった。
余談だがイタリアの領土となったゾーンAは、フリウリ地方と結合してフリウリ=ヴェネツィア・ジューリア州となり、イタリアに5つある特別自治州の一つとなっている。

スラブ人の侵略、神聖ローマ帝国、ヴェネツィアの侵略、ナポレオンの進軍、ハプスブルク帝国、そしてイタリアの支配・・・。
再び国境線に視線戻し、この町の激動の時代を振り返る。それまで単なる歴史の教科書の1ページでしかなかった出来事が、まるで飛び出す絵本の様に自分の前にリアルに立ちはだかった。
「それも運命だった」と受け止めるしかないのかも知れないが、その時代を生き抜いた人々の苦悩や悲痛を思うと胸が詰まる思いがした。




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